さてここでひとつの疑問がある。
それでは“小”を済ませた後と“大”の場合では、どちらがより汚いのだろうか。想像してみよう。“小”をしてきた者と、“大”をしてきた者とでは、どちらの手を、より握りたくないと思うだろうか。無論、両者とも十分に手を洗っているものとする。おそらく大多数の者が“大”後の者との握手を嫌がるだろう。
しかし、果たしてこのような意識の動きは本当により汚いものを選んでいるのだろうか。
なお、以降の考察は男性にのみ当てはまるものであることを先に記す。
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さて、このプロセスを検討すると、ふたつの排泄行為において大きく異なるフェイズは3か所。“a−ウ及びク”、“b−カ”である。ここを比較することにより、次のことがわかる。
この3つのフェイズはともに手が局部にもっとも近づくところである。しかし、排尿行為のふたつのフェイズは直接局部に接触するのに対し、排便行為においてはトイレットペーパーという遮蔽物が直接の接触しないようにしている。
特にa−クにおいては、ともすれば排泄物自体への接触という最悪の事態を引き起こす危険性をはらんでいる。しかしながら、排便行為には意図的に触れようとしない限り、局部に手が接触することはないのである。もっとも接近した位置となっても、トイレットペーパーが破ける、狙いがはずれる等の、人為的問題が発生しないかぎり、局部および排泄物に触れることはない。
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これはすなわち排尿行為よりも排便行為の方が清潔ということである。ゆえにトイレから出てきた者と握手する場合、“小”後よりは“大”後を選ぶべきなのは明らかであろう。
もちろん、これは極端な例であり、手を洗わないでもよいという事を奨励する者でもない。しかしながら、マナーや慣習にとらわれずに考えた場合、前述の結果は紛れもない真実であるといえる。
このような汚染感覚の逆転現象の原因については、現在もなお研究中ではあるが、現時点では行為の簡易さによるのではないかと考えられている。つまり、わざわざ個室に入りパンツをおろすという高負荷の動作より、もっと気軽にできてしまうことにより、『お手軽=大したこではない』という認識ができてきたのである。
汚染感覚のギャップにより排尿軽視の傾向は現在もなお根強く残っており、そのため公衆トイレ等においても排便行為後には手を洗うが、排尿行為後は手を洗わずに済ます者を見受けることがある。より汚染率の高い排尿行為であるからこそ、その後のケアはしっかりとしていただきたいものである。
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汚染率とは、「浸透率」という物的現象と、「心理」という心的意識との、パワーバランスによってなりたっているとみることができる。
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