(主演:俺的にはホッパーが気に入った)
七人の侍。ではありませんでした。
デズニーアニメ(特にあのネズミ野郎)が嫌いな俺。でも食わず嫌いは良くないよなと思い観ることに。ゴメン! 悪かった。面白かったんだよ。
ダメダメな思い込みも当然で、そもそもマイナス要因が多すぎたんだよね。デズニー作品だというのが最大の理由ではあるが、もうひとつの大きな要素は“動物擬人化もの”だってこと。動物は動物。人間と同じ思考をするわきゃない。もちろん人間が万物の霊長だからなんていう欺瞞放漫のせいじゃないよ。生理学的にありえないからだ。虫には虫の思考形態があってそれは人間とは絶対に違う。擬人化することこそが人間様のほうががえらいという自惚れを表現しているんじゃないのか?
と、そんな予断を払拭するだけのものがこいつにはあったということなのだ。
CGアニメにありがちな不必要なまでの回り込みというようなあざとい演出がなく、実に素直に絵がつくられている。CGくささないということがどういうことかというと、あざといCGに気を取られることなく、作品として観ることができるということなのだ。実際、始まってものの10数分でCGであることを(忘れはしないけれど)気にしなくなる。
もちろん、これは話と演出のうまさのせいもあるのだろう。主人公フリックの悪気はないお調子者(けっこうパターンなキャラではあるが)と、真面目だが保守的な他のアリ達との対比で、感情移入バリバリつかみはオッケー状態。キャラへの思い入れは成功の秘訣だからね。
キャラクターがみんな立ってるんだよ。主人公はもとより、王女アッタ、妹ドット。敵役ホッパー、サーカスの用心棒達全員が、きっちりと個性を主張していてしかも見せ場もちゃんとある。見事だ。
CGが美しい。なんかまたさっきと言ってることが矛盾していますが。正確には美しい映像、美しい自然を描き出している。陽の光に浮かび上がるクローバー。横から差し込む朝日の暖かさ。NYそっくりの都会の喧噪や、張り子のトリの質感と燃えさかる炎。そして、そういえばこれってCGなんだよっていう驚き。もうここまでくるとなにができるかじゃなくて、どう表現するかだよね。本当。
ラスト、用心棒達が旅立っていき、カメラはどんどん引いていくと、アリの国が実は小さな池の小さな小島だったことがわかる(もともとわかってるんだけど、絵づらとして)。そんな小さな小さな世界でも生き物達は懸命に、未来に向かって、くじけずに生きているんだということがわかる。
本来あり得ないNG集は、制作スタッフの余裕の表れだろう。でも、(誉めてばかりだと気持ち悪いのでちょっとひねくれてみるが)あれはホッパーの最期がトリに喰われるという冷酷な死ということで、デズニじるしの冒険コメディというテイストとはちょっと相容れない部分があったわけだ。それをNG集をつけることで“これはドラマですよ”という逃げをうっているのかなとも思った。楽しいカーテンコールとして素直に観ればいいんだけれどさ。NG集って、実のところいままでの話はぜーんぶチャラという卓袱台返しでもあるんだよ。うがちすぎかも知れないけれど。
ともあれ、エンターテイメントはこうじゃなきゃいかん。そういう点でディズニーには一日の長があるというわけだ。