(監督:森田芳光)
謎が謎呼ぶ殺人事件。
とっつきにくいけど、食いでのある面白映画だった。
前宣伝のものすごく怖いサイコサスペンスというのはモーレツな偽り。「サイコ」や「羊たち…」といった一連のいわゆるサイコサスペンスではない。法廷を舞台としているが、「12人の…」のような法廷劇とももちろん違う。
素材としてはサイコ(精神的な)登場人物を用いたサスペンスであり、そういう意味ではそのとおりなのだが、描きたかったのは“サイコ”の部分ではなく、刑法第三十九条の矛盾、“それは必要悪か”という、実に社会派の物語なのである。だから怖い映画でない。しかし今もまだ現実にある三十九条については現実の恐怖であるともいえる。
ここで刑法三十九条自体について自分の意見を言うつもりはないが、オレの『人を憎んで罪を憎まず』というスタンスは、もしかするとここで監督森田芳光がいいたかったことと同じなんじゃないのかしら。
ということで作品には非常に共感を覚えるとともに、本当に自分自身の問題として、いつ自分に降り懸かってくるかもしれない恐怖として、考えるところは多かった。(あ、もちろん被害者としてだよ。誤解のないように)
ぱっと見はとても取っつきにくい映像だ。ざらついた暗くつぶれたフィルムの質感。唐突にインサートされる心象風景や過去の記憶。それが誰のいつのものかの説明はなく、それがわかったときに驚愕の事実が浮かび上がる。といっても中盤には「これって人物入れ替えネタかぁ」というのが(推理モノの常套手段でもあり)予想できるのだが、ストーリーに無理がなく、的確かつ印象的な演出で納得できる。
さて、しかし。オレが本当に感じたことは刑法39条の矛盾でも、人が人を裁くことの是非でもない。ここで描かれている内容が『刑法第39条』対するナイフであるのはもちろんだが、実は、裏に現在の多重人格モノ、サイコキラーモノに対するアンチテーゼ。というか、「とりあえずサイコキラーを出しとけば面白いんじゃねーの」というような安直な風潮に対するナイフなのではないか。確かにサイコサスペンス(歪んだ心が創り出す恐怖)は面白い。面白いんだけれど、そうやってなんでも“サイコのせいだから”と括ってしまうのは、創作する者として手抜きだし、それにある意味差別でもある。
とにかく極太の社会派ドラマである。