(監督:マニラトナム)
とある家族が、夜、クローゼットの中に吸い込まれ、そこで繰り広げられる悪の異星人との宇宙戦争に巻き込まれる。
もうインド映画であんなに泣くとは思わなかった。やはりマニラトナムはすごい。やられた。
インド映画のいつものパターンで(?)、前半と後半で大きくふたつの話が描かれる。
前半部は、まさに子ども達の元気な日常と、主人公一家のあたたかなホームドラマである。
特に団地の悪ガキ集団。やりたい放題の子ども達ではあるが、決して不良などではなく、快活で元気な悪ガキなところが実に心地よく嬉しい。もちろん“無邪気子ども達”ではなく、いじめや喧嘩もする普通のところがいい。小憎らしいまでのイタズラは、それぞれエピソードとまでいえないようなショートカットのように描かれるのだが、誰にも覚えのあるようなもので、これが実に元気で微笑ましくていとおしい。
そして、実に仲の良い家族の日常。これもごく普通の生活なのだが、そこに描かれる家族のつながりはとても素敵なものだ。
前半のクライマックスは父親の不倫疑惑による家族の危機なのだが、それが解決するとともにそれが後半のテーマにつながっていく。
後半は一転して、知的障害の妹を家に引き取ることとなった家族の愛情と苦悩が描かれる。それは少々つらい部分もあるのだが、前半でやりたい放題だった子ども達が始めは反発し、そしてオトナ達の体裁や世間体からの拒否を後目に受け入れいく過程が見事。子ども達の一人が仲間に入る儀式として、アンジャリに手を差し出すシーンに、泣かないことなどできはしない。しないのだ。
そして話は、たまたま見かけた殺人事件のクライマックスにつながる。それを救うのはアンジャリの存在によって救われた元囚人の男。雨降る夜の格闘シーンは、演出の見事さとも相まって、アクションというよりは痛々しさが伝わる名シーンといってもいい。
最後に、朝の陽の光に包まれる中、アンジャリは神の元に帰っていく。元々、出会いの時から別れを予感された話ゆえ、アンジャリの死に対しては覚悟ができていたのだが、ラストシーン、アンジャリのお気に入りの遊び道具だった今は空っぽの荷車が映し出された瞬間、きた。う、思い返すとまた涙が。
この映画で描かれるのは『許し』だと思った。例えば、知的障害者であるアンジャリが社会(団地という共同体。また子ども達)の中に混ざることを許される。逆にアンジャリによって、孤立していた人達が交わりを持つことを許される(自ら心を開いていくという方法によって)。つまり、人は様々な場面に置いて、許すことが大事であり、それはなによりも自分のためでもあるのだなぁ。
マニラトナムの得意技である光の使い方はやはり見事。そして伏線のはりかた、エピソードにちりばめ方も絶妙。フィルムの状態が、あまりよくないのでちゃちに見られがちだが、もっときちんと評価されるべきでしょう。
マサラムービーならではのミュージカルシーンも当然満載なのだが、これもマニラトナムらしくダンスというよりはイメージ映像が主体。スターウォーズライクな特撮や、ETライクな特撮満載で、しかもマスクずれずれのチープ。実はこれには少々鼻白んだのだが、そのぶんを差し引いたとしても、オレの心は震えまくりなのだった。
とにかくいい。どうやらオレって健気な子どもモノに弱いみたいだ。