CHART-DATE : (1999/06)
作品
愉快町
… カラー・オブ・ハート

(監督:ゲリー・ロス)


お話

 年頃になれば誰でも色気づく。


お話

 ハートウォーミングなファンタジックコメディを予想していた。軽く楽しめればいいかな程度の気持ちで観た。騙された。やられた。面白かった!

 昔懐かしモノクロの、清らかで毒のないTVの中だけにしか存在しないような(まあそのとおりなんだけど)プレザントビル。そこに入り込んでしまった現代/現実の男女。彼らが半ば自棄気味に行動することで、モノクロの世界がカラーに変わっていく。
 このカラーに変わっていくというのがミソで、確かに世界が鮮やかに変化していくのだが、それは決してただ嬉しいだけではない。より鮮明になるということは、それだけ現実と向き合っていかなければならないということのメタファーである。つまりきれいごとの生活ではすまなくなるということなのだ。
 自分を見い出すこと。それが“色づくこと”の意味だ。ストーリーの上でもふれられているが『SEX=色気づく』ではないのだ(いや、仮にそーだったら嫌な世界だが)。人々は、あらかじめ決められたシナリオに従う、流されていた生活という殻からブレイクスルーすることで、変化を手に入れることになる。自らの意志で行動し始める。それは痛みや別れも伴うものだが、それこそが人として生きるためにもっとも重要なことなのだ。

 すなわちここで語られる物語は、町の人々、そしてそこに紛れ込んでしまった二人、すべての登場人物にとっての“幼年期のおわり”の物語である。

 話自体のアイディアは、実際のところそんなに目新しいものではない。決められたレール以外の行動をとれない世界という設定は、SFとしては結構ポピュラーなネタではある。だから、あまりにもカリカチュアライズされた演出はちょっと引いたところもある。例えば、バーガーショップの親父とかね。あざとすぎるんじゃねーの? とかね。だが、その後の展開がうまいというか。絵に目覚め絵を描き始める、描かずにはいられないその気持ちの高まり方は、とても実感できる。泣ける。

 モノクロの世界が色づくというのも、ただ色がついていくんじゃなくて、そこにきちんと意味があるのがすごい。例えば、恋をして色気づくというのは一番わかりやすいが、母親の体に火がついたことで、立ち木が炎上するのは大爆笑もの。
 もちろんそんな変化球ばかりではなく、絵としてみせるときはみせる。バーガーショップのステンドグラス(?)もそうだし、はじめてのデートのシーンの淡桜色の並木道のシーンには感動すら覚えた。

 クライマックスは予定調和的な部分もあって、ちょっとがっかりしたところもある。しかし、『モノクロ世界とカラー世界』というテーマ、設定、ストーリーが相互関係を持って展開する“頭のいい”脚本。しかも、きれいごとで終わらない、終わらせない。ギャグやコメディで突っ走るのではなく、中に毒を秘めたシニカルでアイロニカルな醒めた視線で語られているのである。オレが一番好きな映画のタイプはこんなトリッキーな作品なのね。

 荒削りの部分も、甘い部分もある。しかしそれを補うだけのものはもらった。


お話

 映画を観るときは、その作品自体がどうだったのかで語るできべきであって、“○○と比べて”みたいな、他映画との比較はしないようにしている。が、この映画についてはどうしても昨年の「トゥルーマンショウ」を意識せずにはいられなかった。
 閉塞した空間の疑似世界。トゥルーマンが、現実(TVショウ)の中に造られたもの(トゥルーマン)がいるというのに対し、こちらは虚構(プレザントビル)に現実(兄妹)が紛れ込む、ちょうど裏表の関係のような設定であった。しかし描かれるテーマはどちらも人としての自立。時代の気分がこういったインナースペース系の作品を呼んでるんでしょうかね。


お話
★★★★★

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