(監督:崔洋一)
天地無用! 魎皇鬼
不思議な話なのだ。リアルな物語のようでフォークロアのようでもある。それはマブイだとか、御獄だとか、沖縄の神様とともにある暮らしがストーリーの中核にあるからだろう。日常の中にごく自然に超自然が混ざり込んでいる社会の物語。ようするにマジックリアリズムである。
であるため、ごく普通の物語のようでいて微妙に現実離れしている不思議な肌触りに違和感を感じる人もいるかもなぁ、と思った。超自然と現実が別モノの世界として認識している人には、一部のいっちゃってるヒト達とは違うレベルで、カミサマが自分たちと同列に存在する世界はなかなかに理解しづらいのではないかと思うのだった(勝手に決めつけるのもなんだけどね)。
もっとも話の本筋は、一人の青年が紆余曲折を経て今まで逆らってきた家族に向き合う気持ちを得るという普遍的な話なので、わからなくても構わないといえば構わないのかももしれない。
沖縄の聖獣(笑)『豚』がキーワードである。主人公が豚小屋で生まれた件、マブイを落とす原因となった件、女たちが腹をこわす原因となった件、皆、豚のせいなのだ。しかし、それらは単なる設定としてさらっと描かれるだけなのが気にかかった。映画を観る限りではテーマにかなり深く関わる設定のような気がするのだが、原作を読んでいないので(すまぬ)本来どれほど重要な位置を占めているのかは結局わからずじまいだった。
全体の話が見えにくい映画で、結局なにがいいたいのかわかりにくい部分があるのは事実である。主人公がマブイ(血のつながり。連綿たる家系をつなげていくこと。先祖を敬うこと)を見いだすまでの成長の物語なのだが、映画としてのエピソード自体はホステス3人組とのやりとりがメインとなっているため、映画が終わってようやくなるほどと理解した。とにかく主人公よりも3人のホステス達のインパクトが強すぎるんだよ。
『優柔不断でモラトリアムな主人公が、くちさがない懲りないネーネーたちに翻弄される話』という部分だけを切り取ってみると、ね? 「天地」的でしょう。
特段、大事件が起きて話が進むという感じではなく(もっとも豚にマブイ取られて御願に出かけること自体大事とみなければだが)、ゆったりとしたリズムの物語なのである。それゆえ、だらだらした感じもあるのだが、沖縄という舞台にはそれが似つかわしい。観ていて眠くなってくるのは、退屈なのではなく、映画の持つゆったりした流れと、おそらくヒーリング効果が出ている沖縄離島の暑く気怠く心地よい風景がそうさせるのだろう。映画としてはあるいは問題なのかもしれないが、心地よいひとときを得られるということ自体は決して悪いことではないように思う。