CHART-DATE : (1999/07)
作品
妖精譚
… フェアリーテール

(監督:チャールズ・スターリッジ)


お話

 コティングリー妖精事件の真相真理と深層心理。


お話

 単にきれいで可愛らしいだけの少女趣味の映画ではなかった。
 そこに示されるのは、信じることの真実を知る少女達。嘘を暴くことが大命題であると思う大人達。悲しみから癒されたがっている大人達。失望や欲望、そして希望である。

 まず、なによりも目をひくのは、舞台の美しさである。ビクトリア朝時代の、ヨークシャー地方の田園風景、重厚なロンドン市街。「これを観るだけでも価値あり」という気にさせるくらい美しい。そして惹きつけられた目はそのまま、映画のマジックに取り込まれていくのである。

 あまりにも有名な妖精写真の顛末と、それに関わった人々の想いをつづる作品である。映画では、写真自体はトリックだったかもしれないが、しかし妖精は実際にいたのだという解答を描き出している。他人には見えないからといって、いないということの証拠にはならない。
 しかし、本当に重要で必要なことは、客観的にいるかいないかといった事実ではない。その人にとっての真実なのだ。
 少女たちにとって、いたのかいなかったのかということであれば、彼女たちにははっきりと妖精が見えていたはずだ。はたから見れば、それは思いこみであったり、勘違いであったりするのかもしれない。しかし彼女達の主観にとっては、妖精は確かにいたのだ。
 そして、それを信じて人生を全うしたとするならば、妖精は存在する世界こそが真実である。それは誰にも奪うことはできないものだ。
 これは、別に妖精や神様に限っての話ではない。超能力や心霊現象、その他もろもろのオカルティズム、あらゆることにおいでいうことができる。少なくとも信じることにおいては、それでいいのだと思う。それが救いとなるのだからね(ただし他人様に迷惑がかからなければ、だけど)。

 秘密を暴いて一儲けを考えようとする大人達、無批判に信じきってしまう大人達、安っぽい好奇心優先の大人達、さまざまなせせこましい現実と対比させながらも、妖精を信じた少女達は、信じる心を持ったまま大人へと変化していく。大人になることが夢や奇跡(安っぽい言葉だけど)を捨てることではないということを語っている。


お話
  1.  ハーヴェイカイテル扮するフーディーニがいい役なんだよ。話の中で唯一、事実と真実の意味を知る人物。だからこそ、少女達の嘘を知りつつ、それも含めて愛おしく思っていたんだろうな、と思わせる。くー、カッコイー!
  2.  なにしろ眼福。舞台だけじゃなく、SFXも実に見事なのである。妖精がちっともちゃちくない。
  3.  あ、もちろん、主役はふたりの女の子ですね。かわいさ爆発(バカ)。

お話
★★★★

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