(監督:“私が”ウォシャウスキー兄弟)
サイバー胡蝶の夢。
はじめに前置きしておく。劇場に行ったときべらぼうに混んでいたため、前列のかなりサイドぎみからの鑑賞となってしまった。しかも座席脇の足元灯が目の端にチラつき、映画に没頭できなかったのである。そんなベストコンディションとはいえない状況であったということを念頭に、以下の感想です。
正直いって、熱烈歓迎とまでハマれなかった。もちろん上述が原因のひとつではあるが。しかしそれ以上にたちの悪い問題があったのだ。
この映画は、まごうことなきビジュアル重視のサイバーアクション映画である。「うわぁ〜っ!」という溜息が出るほどのクールな演出、映像表現が全てなのである。が、肝心の眼福シーンが、ほとんど予告でみたものばかり。ここが大問題なのだ! 予告でハイライトシーンを使うのは、商業的にはわかわんでもないのだけれど、そのおかげでオレは本編を観たときの新鮮な驚き/楽しみを98%くらい奪われてしまったのだ。
例えば、冒頭のトリニティの生唾もののアクション、“もっと銃を”から続く大銃撃戦のビジュアルショック、ネオのエビぞり銃弾よけアクション、そのどれもがモーレツにクールでカッコイイのに、それがすでに体験済の快楽で興醒め。新鮮なシーンなんて、カンフー特訓シーンくらいだもの。もう!
TVなどでの事前露出は極力観ないようにしているオレではあるが、映画を観に行くたびに予告をやるじゃん。そーするとどうしても観ちゃうじゃん。ダメ。避けきれない。
もちろんこれは作品自身の問題点じゃないんだよな…
ついでだから気になったところを書き連ねてみると。
話としては至極単純で、これが複雑な内容だというのが逆に理解できないよ、オレは。『見えている世界は実は全てコンピューターの見せる夢』というのは、とてもポピュラーなテーマである。胡蝶の夢であり、ユング心理学であり、SFの定番である。この映画のすごさはその設定がテーマではないことなのだ。あくまでも設定は設定で、サーバーなアクションを成立させるための世界観でしかない。その割り切りさ加減がグーなのである。
ただ、だからといって類型的な描き方でいいというわけではない。現実世界が退廃と混沌というのはあまりにもベタで、ちょっとショボイ。変な生物風の機械も安っぽいSFアニメ的でダメダメ。現実世界はもっと地味でそれこそ現在の社会そのまんまというのも面白かったかも。コンピュータの思想も至極普通。もっとロジカルで人類のことを考えるが故(ロボット3原則厳守的)にマトリックスを成立させたというのも面白いんじゃないの。とゆーよりそのくらいひねってこないと複雑なストーリーとはいえないっす。
とにかく、せっかくカンフーとガンファイトというカッコイイ等身大アクションがあるんだから、それでグイグイひっぱってほしかった。もっとこっちの世界の部分を省いてでもマトリクスの社会での活躍を見せて欲しかった。
と、毒吐いちゃったけど、観ているときにそこまで客観的になっていたわけじゃなく、けっこうのめり込んでいたのではあるけれどね。とにかくもう一度、いい座席できちんと観ないといけないなと、そう思う。
…というわけで、
1月後もう一度観てきたのだった。2度目ということでストーリーを把握する必要がなくなり映像を堪能することができました。でも全体の印象は同じだったなぁ。映画自体が悪いのではなく、美味しいところばかりを垂れ流した予告編がいけないんだけど。パート2のときはもう絶対、前情報をシャットアウトして観に行こうと思う。だってせっかく極オモシロな映画はたっぷり味わいたいからさ。