(監督:中江裕司/名演:登川誠仁)
私があなたにほれたのは ちょうど十九の春 でした
別に大してドラマチックでもなく、それはストレートでひねりのない小さな物語である。にもかかわらず、冗長でも逆にせわしいわけでもなく、気がつけばエンディングのカーテンコールが写し出されていた。そんな92分であった。たぶん映画のテンポが自分の波長とぴたりあったせいなんだろうけれど、うん、よかったなぁ。
結局、おおまかなストーリーとしては『60年ごしの初恋が実る』というそれだけのこと。だからといってナビィとサンラーの独壇場というわけではなく、かといって様々な人々が絡んでの群像劇ということもなく、そこに描かれていたのは、ありふれた南の島の生活(それがリアルであるかどうかはまた別のハナシとして)そのものであった。
おそらく自分がはまったのもその部分であった。
島の人たちの生活の面白さ。それはわかりやすいけれど、いかにもつくりものめいたこれ見よがしの面白さではない。ごく普通のようでどこか奇妙な、でもやっぱりどこにでもいそうな人々の醸しだすおかしさ。これが映画全体を包み込んでいる。
例えば、恵達オジィの飄々ぶりや、奈々子ネェネェの酒びたりぶり、いつの間にか島に取り込まれていってしまう福之助君なんかは一見すると普通のようで、でもどこかおかしい。島をうろつき回っている謎のアブジャーマー男、アイルランドからやってきたバイオリン男などは、逆にどうみても「こんな奴いねーよ」(だって意味もなく店の前で演奏会なんか普通しないって)というようでいて、でも島にはいてもおかしくない。そういったちょっと非現実的な浮世離れした世界をみせてくれている。
ようするに、人々のなんでもない会話やたたずまいそれ自体が、島の呼吸、空気感を見事に表現しているということなのだ。もちろん、それは実在の島の雰囲気とはやはり異なるものなのだけれど、でもどこかにあっても全然おかしくない。そんな印象を強く感じた。
とまぁ、そんなことをつらつら思いながら観ていると、話はいつのまにかクライマックス。ナビィオバァは結局、初恋の人と『愛してるランド』へ旅立ってしまうわけだ。しかし映画は悲しい終わりかたをしない。人の営みは未来へつながっていく、そんな希望を最後に用意していた。
ラスト、オジィのカチャーシーにのって村の人々が踊る。その祝祭感。人の営みはそれ自体が祝祭である。そしてカメラは、奈々子と福之助が結ばれ、子を授かり、そして命は絶えず、永遠を写し出す。マブイである。マブイとは魂というよりは家系、(精神的な)血のつながりそのもの、自分のアイデンティティそものもを表す(とヤマトンチュの自分は認識しているんだけれど)とすれば、ここに描き出されている姿はまさにそのものではないか。
こんな映画と出会えてよかった。