(計画:ダニエル・マイリュック&ロビン・カウイ)
若気のいたり。
なんといったらいいのか、よくわからない。
映画じゃないのだ。少なくともストーリーを展開して完結させるタイプの映画ではない。あくまでも素材で、単なるデータを提示されただけ。その後のメディアミックスとしての情報展開のきっかけでしかない。それにしてもこれはあんまりだ。
そもそもこれが映画学校の学生のワンチャンスアイディアのフィクションであることや、ネットや郊外上映という情報戦略によってヒットした映画であるという背景を、あらかじめ知っているために、当初の方法論とは異なる楽しみ方を見つけなければならないことを余儀なくされた。そんなところが問題の原因なのではなかろうか。それを見つけられた人は十分に楽しむことができるのだろうけれど、それを見い出すことができなかった人(例えばオレ)は猛烈に後悔する、そういう映画なのだろう。
ま、こと映画として見た場合だが、全然不完全。ビデオ映像と16ミリフィルムを混合した映像は意味もなければ効果もない。起承転結を持ったストーリーらしきものはなく、ヤマもなければオチもない。テーマも絞りしれていない、ただの記録映像を垂れ流されても、怖くもなければ面白くもない。
やはり結局、映画単体ではなくWEBや印刷媒体などを込みでみなければならないというとこなのだろう。それもひとつのありかただとは思うのだが、しかし付帯情報を大量に仕入れてから見なさいということは、観るのではなく情報の確認作業でしかない。それじゃわざわざ劇場まで足を運んで見る必要はない。少なくともオレは「じゃあビデオで十分だったなぁ」と思うのだった。そう、むしろビデオでくり返し検証するというのが、もっとも正しい楽しみ方なのかもしれない。