(監督:マーク・ハーマン)
一夜限りのひとりものまね歌合戦。
はじめはなんだと思わせておいてぐんぐんよくなっていく必勝パターンの映画。
なぜはじめはバツだったのかというと、登場人物がみんな(悪い意味で)変人だから。ニンフォマニアのヒステリー、極端な対人恐怖症、ハトフェチ、肥満に不倫と、欠陥者だらけ。いやそれはいいんだ。嫌なのは自分を中心に考えていて他者を傷つけているのかも知れないことに思い至らないこと。それが感情移入を拒否するのだ。
ではなぜそれがマルに変わったのか。それは彼らが悪人ではなく(かといって善人でもないのだが)、それぞれが悩みを抱えさえない現状をなんとかしようともがいている、つまり普通の人々だということがわかってくるから。
そういう意味で一番変化を拒否しているのは主人公のLVなのだけれど(途中の芸達者の部分は変化ではない)、それはクライマックスの自己解放を描くためだから、まあしかたない。
ラストシーン。若いふたりの新しい明日しか描かれていないのだが、彼らだけではなく、町の人々もまた、大きな改心はなくても、それでも少しずつなんらかの成長はあって、でも懲りずにまたいろいろとあがくんだろうな。と、そんな風に思う。 懲りない奴らの(乾いた)コメディタッチな作風がそう感じさせるんだろう。結局なんのかんのいっても話に引き込まれていたんだな。
難点としては、これがLV役ジェイン・ホロックスの芸に完全に頼っていることで成立しているところ。もちろん、もともと芸ありきでできた話だし、それはいい。ただ、確かにさすがにマリリンやジュディは知ってるけれど“うっわー、クリソツ”と思う程、精通してはいないという点がね。確かに「似てるんだろうな、上手いんだろうな」とは思うのだけれど、そこで終わってしまうところ。その本質的な部分で損をしている。誰がって? オレが、だ。
おまけの短編映画について。
誰でも思いつく一発ネタ。もちろんオレも同じような話を書いたことある。ただ、これ程まで直球勝負に映像化されるといいっすね。
ところで主人公の「男」の痛みを理解できる人はもう釣りはできないだろう。だってあんなしどいことを魚にしてるんだぜ。でもって「俺はキャッチ&リリース」なんて言う奴、リリースってことは何度も同じ苦しみを味わえ的な拷問を強要しとるのよ。