(監督:黒沢清)
世界の殻を破壊せよ、世界を革命するために! (違うって)
またえらく難解な抽象的な寓話な映画なのである。ひとつひとつの行為、シーンは実に具体的でわかりやすいのに、前後のつながり、因果関係が不明瞭なのだ。しかも意図的にわかりにくくしている。全体像が見えない。
生かすのか、それとも殺すべきか、どちらを優先すべきかという二者択一。それを『世界の法則を回復せよ』というウ的メッセージをキーワードに描こうとしているのだろうか。
要するに、黒沢清色満載の映画なのであった。
カリスマと呼ばれる毒樹をめぐっての奇妙な人々の攻防が描かれているわけだが、それはあくまでも表層だけのもので、どうにもウソ臭い。市の緑地保全課やら大学教授やら様々な肩書の人々が登場するが、本当にそうなのだろうか。第一、カリスマ自体、その真偽が謎だ。おそらく守るべきもの奪うべきものの象徴でしかないのだろう。
そんな奇妙にずれた印象は、あるいはこういう裏があるのかもしれないと思うのだ。
「登場人物は皆、かつてあった病院の患者達の成れの果て(?)である」
そうするとなぜ彼らは森から出ないのか、行動が変なのかの理由がつく。ココロが壊れた人たちは(無意識のうちに外の世界との境界線をつくってしまい)病院の敷地内から出られない。それは病院がなくなり医者達が消えていったあとも続いている。で、自分達の信じ込んだ世界での役割を演じているというわけだ。
そんな奇妙な閉鎖空間に巻き込まれて、ココロを壊していった男の話。とみるのが一番わかりやすい説明だと思う。
ラストの意味もよくわかなないが、最後に逃げ出していった患者達がテロ行為に及んだとみることができる。
でも、そんな“とおりのいい整合性”をむりやり求めて、納得しようとするのもどうかなと思う。そんな大層な映画でもない。深読みすることに意義を見い出す必要などない。変なユーモアと暴力を内包した、奇妙な味の映画として単純に楽しめばそれていい
役所広司の着ている皮(?)のロングコートにぞっこんラブ。