(原作/脚本:野沢尚)
切った張ったの浮き草稼業。
後味の悪い映画だった。きっとそういう終わりかたになるだろうとは読めていたのだけれど。
ここ数年のTVドラマの風潮のひとつにストーリーとしての決着よりも、登場人物の心のありようをもってオチとする傾向がある。それはそれでひとつの作法論だとは思うが、そのために話自体をスポイルすることになっては本末転倒のような気がしてならない。と自分は考える。
そしてこの映画も実はそのライン上の作品となっているのだった。
話自体は明らかに社会派サスペンス、サイコミステリーとして語られている。しかし、サスペンスミステリー作品としての客観的な事件の解決は結局は迎えることなく、ただ“様々な状況で不安定な立場にたたされた主人公はどういう心境に至ったか”で幕を閉じてしまうのだ。
導入部からぐいぐいと観るものをひきつけるテンポのよいサスペンスフルな語り口を反故にして「結局、主人公はこういう心境になりました」では、あまりにも肩すかしがすぎるのではないだろうか。
もちろん主人公の運命を描くことによって『TV画面に映し出されたものは必ずしも真実ではない』というもうひとつのテーマが浮かび出すといえばいえなくもないが、しかしせっかく極上のミステリーとして成立しうる素材だっただけに、もったいない。話としての結末をきちんと提示すること自体が絶対必要なのかどうかということはあるのだけれど、少なくともこの手の作品ではきっちりとまとめあげてほしかった。それができた上での心の話、なんじゃないだろうか。
けして正義感に燃えているわけではない、自分の保身を優先したりもする普通の人間が、それでもなけなしのプライドで巨悪を暴き出していくというような話を期待していただけに、このようにカタルシスがないまま劇場を出なければならないのではつらすぎる。
なまじ素材も演出もいいだけに、なんとももったいないなのであった。
しかしあの真相はどうだか。情感たっぷりに描かれていて、それはいいんだけど、論理的に観るとヘンじゃないっすか? 小さい子どもが夜遅くまでビデオカメラ持って隠し撮りしてるのってありえないでしょ。しかもかわいくないんだよ、子ども。台無しじゃん。