(監督:ダニー・ボイル)
夏、夏、夏、夏、常夏。アイ、アイ、アイ、アイ、アイランド。
まずその映像に圧倒させる。あまりにも美しすぎて言葉もなく、ただ見とれるしかない景色。映像でこれなのだから、もし実際にあんなビーチがあったなら(あるんだけどね)確かに守らなければならない、独占して誰にも汚されたくないと思ってしまうだろうなと、正直にそう思う。
その美しすぎるが故に放つ毒。それこそがこの映画の物語の根底にある。
そこで描かれるのは『ビーチ』という楽園幻想に捕らわれたモラトリアムなコミュニティの顛末である。
そのコミュニティは一見、ピュアな魂で溢れた者たちの極楽であるように見える。が、その実、悪意や裏切りといった実社会の持つ汚い人間関係が存在しており、結局は人間の作る組織に理想郷などは存在しない。
要するに、どこであっても人は同じであるということなのだ。そんな単純な真理に目を瞑り見ないふりをして「ここはパラダイスだ」と言い切ってしまう未熟さ、青臭さこそがこのコミュニティの脆さである。
それだけではない。コミュニティを守るために余所者や不要者を排除する独善。秘密(あるいはプライバシー)の欠如した仲間意識だけが突出した嫌らしさ。一見、悟った聖人のようであっても、所詮は現実と向き合わずにモラトリアムな生活を続けていくだけの“コドモたち”である。
気づかなければならない。「現実(あるいは死)と向きあえ」に。「楽園など本当は存在しない」ということに。それはすなわち大人になるということなのだ。
現実を突きつける要因となってしまった主人公リチャードは排除されなければならなかった。そのせいで彼はスポイルされ狂気に走ることになるのだが、そのおかげでリアルな死に直面することになり、モラトリアムから脱出することができたのは、皮肉で残酷な話であり、またその代償も大きかった。
結果、誰もが戦うこともなく、逃げ出すことしかできなかった情けない現実で、話は幕を綴じる。
誰も寄せつけない。それが楽園の秘密ということなのだろう。