(原作/脚色:ジョン・アーヴィング)
人として生きるためのルール
それは自分の居場所の物語である。
一言でいえば“自立”ということなのだけれど、人は大人への通過儀礼として自分の居場所、アイデンティティを探す、探さずにはいられない。その旅は往々にして愛する人を求め、想いを通じ合わせることでもある。人が人を愛する。大切であり、また愛という行為はけしてなくすことはできない。
それはルールの物語でもある。
誰も皆、生きる上でのルールを持っている。それは自分が自分のために決めたルールであり、だからそれを破ることは難しい。
例えば親の都合で生まれてくる生命の芽を摘むことを厭うのは社会規範からではなく、自分のルールがそれを認めないからだ。
また、娘を愛するルール。その手段は社会的にはインモラルであったとしても、父親にとってそれは許されるルールであったのかも知れない。だからこそ、その自分のルール(それはアイデンティティにも通じるのだが)を変えねばならない、間違いであったことを認めなければならない、とすれば死もまたしかたのないことであろう。その死は許しでもなく、詫びでもなく、自己の死そのものである。
さて。ストーリーは、普通とはいえない生い立ちの少年がたどる数奇な人生という、ようするに実にアーヴィングらしいウェットにしてドライな、奇妙な味わいの成長劇である。叙情たっぷりにナイーブに描かれ、泣けるし、感動もある。
しかし、その話の着陸点として、「結局は自分が求めるものではなく自分に求められるものを選ばなければならない、運命を受け入れること、それこそが人生である」ということなのだとしたら、あまりにも悲しい結末である。愛を貫くだけの勇気(あるいはルールの逸脱)よりも重要なこととが、自分に科せられた役割を果たすことであるとすれば、それはあまりにもやるせない。
だからいい映画であるにもかかわらず、オレは最後の最後で癒され損ねてしまったのであった。