(監督:原口智生)
ゴーストバスターズッ!
惜しい。 いいところもあるのだけれど、いかんせん話が弱い。よくいえば単純明快な話。悪くいえばと一本調子というか膨らみがない。
それでも作品の持つムードが自分にうまく噛み合えば堪能できたのかもしれない。ところが、そうでもなかったわけで。
アレレという気分にさせたのは多分、妖怪の位置づけがオレの趣味/主張とはあわなかったせいだ。妖怪大集合な、お祭的な映画は大好きなのだけれど(だからこそなのかもしれないが)「妖怪とはなにか」という根本的な問題に敏感になるらしい。
つまり「妖怪」=「地の底から甦った悪しき存在」というのは違う。さらに「正義の神々の力が弱くなって妖怪が地上にあふれる」というのも違うだろ、と思うのだ。
それはようするにクトゥルー神話の(そして凡百のお手軽RPGの)構図なのだ。省みるに、八百万的神話感からいえば、本来妖怪も神も同列の存在であり、決して善と悪という二元論的なポジションではない。妖怪もまた荒ぶる神(あるいは“気”)の顕現ではないのだろうか? それがアミニズムの考え方であろう。
そういうわけでこの映画のようにステレオタイプでゲーム的な設定には不満を抱かざるを得ないわけです。
でもそれは「この映画ではそういう設定でいきますよ。これはそういう映画なんです」と割り切ってしまえばいい話ではある。しかしそれにはその設定が生きていなければならないわけで、それも今ヒトツ違うような気がした次第。
キャラが立っていないせいなのかもしれない。確かにさくやの凛としたカッコよさ/可憐さはわかるし、実は主人公の河童の太郎の健気さにも泣かされるところもある。しかし、あと一歩、何かが足りない。情感演出がありきたりでステレオタイプの領域を一歩越えることが出来なかったせいでもある。
話題のSFXはさすがにすごい。とくにクライマックスの迫力は納得。惜しむらくはさくやがもっとアクロバティックな動きで楽しませてくれればよかったと思うのだけれど、あまり多くを望むのはないものねだりだろう。
ともあれ、まだまだ磨き上げられていない原石をとりあえず観たというところだろう。先に書いたとおりこの手の話は基本的に大好きなのだ。だからこそ今後の展開が(続編という意味ではない)期待する。