CHART-DATE : (2000/10)
作品
哲子の部屋
… ソフィーの世界

(原作:ヨースタイン・ゴルデル)


お話

 我思う故に我有り


お話

 予想とは違い、ファンタジーとして完結させている。
 原作は“早わかり哲学ガイドブック”と“叙述ファンタジー”の2つの顔がバランスよくミックスしているところが新鮮だったのだが、映画においてはファンタジーのほうを優先した形となっている。
 それが悪いというのではない。仮に、よくわかる哲学解説映画として作ったとした場合、それぞれの哲学者たちの主張を列挙するだけになってしまうだろうし、そうなると映画としては大層退屈で窮屈になってしまう可能性の方が高い。だからファンタジーとしての物語として描いたほうが話としては面白くなるだろうという読みはおそらく正しい。しかしその分、よくあるファンタジーにまとまってしまい、平凡なお話になってしまった感は否めない。
 これはやはり、テレビのようなメディアでじっくりと時間をかけて哲学もファンタジーもきちんと描くのが一番だったのかねぇと改めて実感した次第。

 SFXもストーリーテリングも堅実で手堅い印象ではあるが、その分地味。演出にメリハリがないのだ。もう少し見せ場は見せ場らしくケレンをきかせてもいいのになぁと思うのだった。それに、BGMが妙に短調系でマイナーな気分が増強されるのはマイナスではなかろうか。

 さて、前段でファンタジーが優先されていて哲学入門は二の次と書いた。しかしこの話の本当のテーマ(と言い切っていいのかどうかわからないが)は、アイデンティティとはなにか? である。フィクションのキャラクターは生きているのか、死んでいるのか、存在しているのか、虚構なのか。お話が終われば消えてなくなる存在なのか。これは哲学である。別に過去の哲学者達の言葉を借りなくても哲学を語ることは可能なのだ。
 ただ、その結論が現実の世界に現れて… というベタな展開はやりすぎで、もっと普通に“作品ある限りそこに存在する”という結論に直結させてもいいのにと個人的には思う。


お話

 ラストのいろいろな古典作品のキャラ大集合は楽しいが、ある意味、自分も今後古典として残っていくんだぞという自負心が出ているようで(確かにそうだと思うが)ちょっと言い過ぎ? と思わないでもない。


お話
★★★ ☆☆

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