(監督:エドワード・ヤン)
人は成長しない。人は成長する。
巷で語られるようなほのぼのと感動を呼ぶ人情話ではなかった。
視点、語り口は思いの外クールで、登場人物達の感情から適度な距離をとっている。感情的にならず、あくまでも淡々と、それでいて必要以上に冷たくならないように抑制されている。誰かの視点を通して語るではなく、ある家族(あるいは一族)それぞれの生活をすくいあげているからそう感じるのかもしれない。
群像劇である。祖母の死という悲しい出来事を発端として、それぞれにとって印象的な出来事が起こる。それは過去に置き忘れてきた恋であったり、生活に疲れなにかにすがろうとすることの危うさであったり、これから訪れようとする恋の予感であったり、誰もが経験する可能性のあるものである。彼らはそれをそれぞれのやりかたで受け入れ、そして少しずつ成長していく。
しかし、派手な事件が起こるというわけではない。傍からみれば小さなゆらぎでしかない。そんなごく普通の生活の中のひとつの節目をそのまま切り取っただけの話ということができるだろう。
しかし作中、日本人のゲームデザイナー太田が語るとおり、人生をおくること、それ自体が常に新しいことへの挑戦であれば、普通の生活というものはありえない。一見普通のようにみえても、それを経験する人達にとっては大いなる出来事であるし、逆に考えれば、そんな浮き沈みの人生もまた大局から見れば些細で普通の人生であるともいえるのかもしれない。
そんな家族の日々を話をカメラはヘンに動き回ることなく静かに追ってゆく。
3時間近くという上映時間にもかかわらず、そして波乱万丈のストーリーというわけでもないのに最後まで飽きることがなかったのはこの映画のもつ底力故ということなのかもしれない。