(監督:深作欣二)
は〜い、注〜目。今日は皆さんに殺し合いをしてもらいま〜す。(鼻にかかった声で読む)
もっと殺伐としているかと思ったのだが、見終わった後に不思議な爽快感があった。もちろんそれは決して暴力的なエネルギーの開放によるものではなく、ポジティブな希望や未来を感じたときのそれなのだ。
もとより暴力に満ち溢れている話であることは承知の上で観たので、その事前のイメージとのギャップから強調されたのかもしれないが、ラストで掲示される『自己の責任と覚悟を持った人生を歩む』という意志が力強さと健全さを感じさせたせいだろう。
冒頭でじわじわとムードを高めるのではなく、いきなり暴力と死の匂いをプンプンにふりまきながら話はスタートする。教師役キタノや生徒役全員、皆、かなりのハイテンションで、その張り詰めた糸のような一触即発的状態が作中の緊張感を生み出して観ているこちらまで高揚する。
はじめからハイペースで人が死んでいくので、特に誰に感情移入するという感じではなく、「次は誰がどういう感じで殺されるのだろう」というような傍観者としての視点で観てしまう。だから殺人という行為を観ていてもあまりつらさを伴わない。
まるでゲーム。もともとそういう意図で作られているのだからそれも当然な話なのだ。が、そういう部分が危険視されるところなのだなとも思う。
もっとも、話が進むにつれ(つまり“生存者が減る”につれて、言い換えると“殺し合う相手との遭遇率が減る”につれて)、生き残った者達の(わずか十数年ではあるが)人生について掘り起こされていく。そこで描かれる疑心暗鬼や狂気、暴力が痛々しく描かれ、それがいかに人の判断を誤らせ悪循環を呼び起こしてしまうのかということを感じさせる。
そのラストで示された、生存者二人の「暴力を行使するには迷いや後悔が必ず伴うものだが、その責任を負う意志を持って行動する」という覚悟が、この話を救うキーである。これは極端な例ではあるが、現実の社会でもそれ相応の覚悟は当然必要であり、自分が楽しければいいんだという甘えは、若いから許してもらえるものではない。大人になるというのはそういうことなのだ。ということなのだ。第一それに気づかなければこの映画はただの殺し合いのゲームでしかないからね。
もっともそれはこちらの勝手な深読みかもしれないし、そういう見方をする人ばかりでないからこそのR15指定ということなのか。