CHART-DATE : (2001/01)
六日目
… 6d
(監督:ロジャー・スポティスウッド)
ピカッ! ウィ〜ン、ビロ〜ン(コピーの音)
意外や意外、そこそこ楽しめたのだ。内容的には予想したとおりの陳腐な近未来SFアクションなのだが、ヘンに人類の未来とか科学の危険性といったリアル(?)でシリアス(?)な問題提起をしようなどいう欲をかかず、一企業の陰謀を暴くというタイトなネタから逸脱せず、フューチャーアクションとしての領分をわきまえていたせいだろう。
(もっともそれでも薄っぺらい感じは否めない。近未来の日常をこれみよがし描くだけで、それが話に絡んできていない。言い換えると未来のガジェットを描く必然性がない、のでどうしても浮いてしまい、わざとらしさだけが目立ってしまうのがいけない。まぁ、そういうのをあえて楽しみにしている人もいるのだし、これは好き好きなのだろうけれど)
そういうわけで最初から最後までお約束に満ちたストーリー展開で幕を閉じる。それはそれでよいのだ。でもどうせ陳腐な話なのだから、逆に突っ走って、ラストは「パパ1号おはよう、パパ2号おはよう」みたいに、オリジナルもコピーも仲良く一緒に家族で暮らしましたてな感じの超強引ウルトラバカハッピーエンドにしても面白かったかも。
- 話の都合上、というかそれがこの話を成立させる大前提となっているので、しかたがないのかもしれませんが、あのクローニング技術には疑問符がいっぱい。
まず、素体にはDNAがないとあるが、そもそもDNAの遺伝情報があってはじめて細胞が作られるのでないか?
また被験者のDNAを注入するとあるが、あれだけの大きさのボディーである。いったいどれだけの細胞があると思っているのだろうか。そして全ての細胞にDNAを抽入するなんて不可能なのでは?
現実的な方法論としては単細胞にDNAを植えこんで超速度的成長促進だと思うのだが。
クローン技術があれば死ぬこともないというのもヘンで、オリジナルとクローンは遺伝子的に同じでも生命体としての連続性はないはず。個の死とは「記憶あるいは個としてお意識」の消滅であるとすれば、別にクローン技術で回避されるものではない。あえていうならばパーツの取り替えに拒否反応がないことぐらいだろう。
- ただ、本質的にはクローニングについて禁止する理由というのはないということについては確かにそのとおりだと思う。
- 魚がいなくなって食料危機をクローニング技術で救ったってどういうこと? それはクローニングではなく、遺伝子改良とか養殖技術の向上の範疇なのではなかろうか。
★★★
☆☆