(監督/脚本:黒沢清)
待てば回路の日和あり
ホラーのふりをした終末テーマの神話、つまり黙示録。
黒沢監督独特の枯木の擦れるようなかさついた恐怖感覚、怪奇表現は溢れている。赤いテープの部屋などのシンボリックな絵を作るのは見事。また、幽霊らしき存在も全編に登場する。が、しかしそれらはあくまでも狂言回しでしかないのだった。あくまでもひとつの“現象”でしかなく、物語の対象として機能していない。もとよりそれが目的ではないのだ。
彼岸と此岸の境がなくなることによって、生と死の境もまたなくなる。それは混沌への回帰であるというのがメインのアイディアでありテーマである。なるほど、ありきたりの幽霊譚よりはよっぽど怖い。しかし、なまじ幽霊が(しかも怖く)登場するため、その本質的な恐怖が埋没してしまった感があるのが残念であった。
終わりのはじまりのきっかけがインターネットであるのはいいが、話を展開していく中でインターネットが効果的に使われているかというと、首を傾げてしまう。インターネットでなければならないという必然性がなく、とりあえずなんだかわからないブラックボックス的なツールということはわかる。しかし、それはすでにかなり手垢がついているし、第一、インターネットはもはやブラックボックスではない。結局、流行ものだしとりいれてみましたみたいな感じがでてしまっている。てなわけで、観ていて「え〜、そうかぁ」という印象が前面に出てしまった。ま、気持ちはわからないでもないが。
ともあれ、恐怖映画のようで怖くない、しかしやっぱり怖い、でも見終わった後になぜか清涼感のある奇妙な雰囲気の映画であった。
プログラムを買ったらCDロムがついてきた。でも怖くて開く気がしません。いや〜、オレも存外びびり屋だな(笑えん)