CHART-DATE : (2001/05)
作品
どーでもいいの“D”
… 吸血鬼ハンターD

(監督:川尻善昭)


お話

 最近、血ィ、不味くない? よう飲まれへんわ…


お話

 いまさらこれか? と思いはした。とはいうもの、川尻作品ならという期待もあり、観ることに決定。その結果は… まあ予想どおりでした。

 話は限りなく陳腐である。目を見張るような新しい物語など存在しない。いっさいない。そこにあるのは主人公をはじめとする異能者達が活躍するためシチュエーションだけである。こんなアクションシーンをみせるという前提がまずはじめにあって、それらをつなぐためにやむなく(?)無理矢理に(?)ストーリーを捻出した、いや正しくはお定まりのストーリー展開をパズルのように組み合わせていった。推測だが。  実際にそうやって作られたのかもしれない。なにしろ、普通ならあんな伏線も盛り上がりもない同人誌以下かもしれない単調な話は思いつかないだろうから。

 てなわけでそんなどうしようもない話である。が、であるが故に逆に絵としての、アニメーションとしての「作品性」が浮彫りにされるのだから面白い。そうなのだ。これは話を楽しむというよりは動く絵を、アクションのアイディアの面白さを楽しむため映画なのである。ミュータント達のアクションアイディアやケレンに溢れたアニメートに目を奪われて、それだけで十分なのである。

 観る前に思っていたもうひとつの不安は、すでに時代遅れぎみの古い絵となってしまった天野絵を、どれだけ流用するのかということ。天野の耽美幽玄的モチーフは少なくともオレにとっては退屈で魅力をまったく感じないものになっており、だからあの雰囲気を単純にアニメに置き換えるだけじゃちょっと辛いんじゃなかろうかと。
 ところが、これがまた流石というべきか。あの天野的流線の印象を残しつつむしろ無骨でパワフルな骨っぽい絵にブラッシュアップされているのだ。カッコイイのである。動きの中に確かに肉や骨という肉体の質量感がある。

 結局、川尻の作家性に助けられて作品として成立しているというのが感想である。
 ただ「アニメを楽しみました」というのはひとつの映画のみかたとしてはアリだけれども、しかし、どこか空しさはあるなぁとも思うのだった。


お話
  1.  それにしても日本人が吸血鬼を語ると、どうしてあんなに思い入れが強くなるんでしょうか。吸血鬼という存在にセクシャリティが在るのは確かで、そこに創作心をそそるというのはあるが、それにしても思い入れ過多であるように思うのはオレだけか?
     吸血鬼という存在は基をただせば確かに東欧の伝承であるわけだが、それが発達する上でキリスト教的二元論が巧みに入り込んできていることは確かだろう。だから吸血鬼の持つ恐怖の本質は堕落や背徳にある。
     翻って日本では元々八百万の汎神であり吸血鬼もまた荒ぶる神のひとつでしかない。あるいは妖怪のひとつでしかない。そういう存在であるという面を逸脱はしない。だから実際とは勘違いして受け取っていると思うのだ。
     だからどうだということではない。が、あまりにも吸血鬼ラブラブな感じがちょっと嫌だったものでね。
  2.  ところである年代にとってはバンパイヤって吸血鬼じゃなくて狼男だよね? いやオレはそうでもないんだけど。

お話
★★★ ☆☆

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