(監督:長澤雅彦)
ま、え〜んとちゃいますか?
不倫の結果の左遷。そして本当の自分さがし。という、見かたによっては、現代の働く女性の応援歌的OLコミックの典型ととらえることもできる。また、多分にそういう狙いもあって作られているのだろうとも思う。
そんな典型的な設定をステレオタイプと言いきってしまうことは容易い。しかしだからといってそれがいけないということはできない。ようは、どう料理していくかということなのだ。
この映画が、観る価値のある作品となったのは、映画全体の持つ雰囲気である。飄々とした、不思議な空気感。重々しくなく、さりとて軽薄でもない雰囲気の独特の心地よさ。これにつきる。
それはウェットでもドライでもない演出のうまさであり、そしてなりよりも舞台「大阪」の、というより「大阪弁」の持つ力を最大限に生かした結果ではなかろうか。もちろん、これがコテコテベッタリなものだったりすると、また印象も違うだろう。が、そこは内容にあわせて、お笑いとしての大阪弁ではなく、日常の大阪弁を誇張せず素直に話させている。そのふわっとした音感が飄々とした感じをうまく醸し出しているのだろう。
ストーリー展開も、「仕事を頑張って…」みたいな、力の入ったところを極力抑え、日常的な(ちょっと風変わりではあるが)ものになっていて、うまい具合に脱力している。
もちろんクライマックスには、頑張った仕事が認められて… というカタルシスも用意されてはいるが(そしてこれはこれで必要なのだが)、それはふたりの関係の、そしてその行方、たどり着く先を描き出すための小道具である。映画としてのクライマックスは、あくまでもふたりの心境や距離の変化であるということだ。
骨董屋、下宿から見える星、そんな小さなエピソードの積み重ねが心地よい。恋愛関係にはならないふたりの不思議な距離感がよい。それは人生の楽しみかたの導師的な位置とでもいうべきかもしれない。そこには彼自身がそうならざるを得ない理由があり、だからあのような結末となるわけだが、しかしそこに不思議と悲しさはなかった。いや、確かに悲しい結末ではあるのだけれど、それは必ず訪れるであろう準備ができていたからでもあり、そして彼の残してくれた、希望、エネルギー、そういうものが主人公に受け継がれて、だから彼の人生もまた無駄なものではなかったということが実感できたからでもある。
観終わっての気分は、どん底ネガティブでもハイテンションポジティブでもなく、肩の力の抜けたハッピー感で、一言でいうなら「そんな人生も、ま、え〜んとちゃいますか?」なのであった。