(監督/脚本:佐藤信介)
昭和抜け忍伝。
オープニングのカッコよさにグッときた! で! そのまま一気に突っ走るのかと思いきや... うーん、惜しい。惜しいなぁ。脚本がイマイチ平凡なせいでアクションやSFXの頑張りが足を引っ張られた感じである。
話は、ようするに忍者モノ。抜忍の復讐譚である。舞台を近未来のパラレルワールドに置き換えた、とそういう話である。そこに香港カンフー色が入ったせいで武侠モノのテイストも混ざり込み、そんな感じは嫌いではない、というかむしろ大歓迎でリスペクトしちゃうんだけどね。基本的に剣劇とコスプレ(特にマント系)好きな俺としてはツボヒット率は高いはずなのさ。しかも主人公は見目麗しき女剣士ときた日にゃ、アナタ。ピンポイント攻撃炸裂のはず。
なのに、今ひとつノリきれなかったのは、やはり脚本が甘いせいなのだ。
雪が抜け忍になりそして復讐するに至ったのかを、あまりにも普通に描きすぎている。ステレオタイプの話でもいいのだ。それを根幹として枝葉のつけかたで新しいビジョンはいくらでも生み出せるはずなのに、誰でもが想像できてしまう“普通”のまま最後までいってしまっては、拍子抜け。オーソドックスなストーリー展開では先が読めてしまい、オレを前のめりにさせてはくれない。
例えば雪はすでに抜け忍となっており、体制も反体制も敵に回している孤高のバーサーカーみたいなところから話を初める方法論もあっただろう。順列的な話の積み上げである必要はない。エクスキューズを丹念に説明することはない。要所要所にフラッシュバック的にインサートするだけでも話は通じるのだ。
クライマックスは親の敵との一騎討ち、それはそれでいいが、むしろ涙一つみせない殺戮マシーンが感情を取り戻すことこそがクライマックスみたいな感じもありだろう。
普通、というのはようするに主人公「雪」に等身大の親近感を加えようという考えがあったのだはなかろうか。具体的には能力的な、そして人間的な弱さとかね。弱い(というよりも強い敵に対する)主人公が、最後の最後に倒すというパターンもあることはあるが、しかし、そういったアクションものにありがちな設定は、作り手の安易さ、チープさしか感じさせない。話のもっていきかたによっては、今回はそういうのは似つかわしくないのでないだろうか。
正直なところ、オレが観たかったのはガンガンに圧倒的な強さを見せつける女剣士の姿であって、ギリギリ勝ち抜けガールではない。そんな強さをもってしてなお倒せぬ強敵との死闘こそがクライマックスであるべきなのではなかろうか。
どうせ同じステレオタイプでいくならいくでもっと力押しでいくべきだし、もっとヒロインの魅力を前面にたててもよかったのではいか。
と不満たらたらのような感想ですが、オレツボに微妙にヒットしているので基本的には楽しめたのですけれどね。