(監督:阪本 順治)
どこかにありそでなさそな島のマジックリアリズム的(ウソ)日常
出てくる人々、誰もが皆、ダメな人間なのである。頑張っている人も頑張っていない人も誰も彼も、なにかしらダメなのである。だからこそなのかもしれないが、この物語の主役は「まち」そのものだと感じた。もちろんあの兄弟が主人公なのだが、それは便宜上、あるいは一番いっぱい画面に出ていたから、というだけであり、本当は誰々が主人公というようなものではなく、むしろ「彼らのような、ダメな人間達がいてもいいのだ」と、その存在を許容するあのまちこそが主役。そういう印象が残った。
まちは。住人達をぬるま湯というほど甘やかしているのではなく、個人が頑張らなくては生きてはいけないような厳しさを与えてもいない。ダメのランクにあわせて、住人同士がお互いの存在/生き方を許すコミューン。
それは昔、日本のどこにでも見られたありようであったのかもしれない。その原風景を持ち続ける日本人にとって、バカバカしくも哀愁に満ちているこの映画、そこに描かれる人々、そして物語は、懐かしさを感じずにはいられないのだろう。
二人の子どもの成長と旅立ちの物語である。説明などできない。不要だからだ。誰しもが通ってきたあの時代を、自分はすっかり忘れ果ててしまっているが、それでも無意識の記憶の中に眠っていて、それに共鳴しているんだろうなぁ、と思う。もっともあそこまでどえらい生活じゃあなかったけれどもね。