CHART-DATE : (2003/04)
作品
人型決戦オルゴール
… ラーゼンフォン 多元変奏曲

(総監督:出淵 裕)


お話

 正義の巨大ロボットが悪の組織を殲滅するぞ!


お話

 TVの総集編的位置づけの映画故、話が大雑把なのは、まあいたしかたない。大目に見るとする。が、そうだとしても話がわかりにくい。

 ストーリーや設定上の課題。ひとつは、人間関係が複雑であること。そして個々のキャラクターの性格設定やそれにともなう行動原理が、一貫しておらず場面ごとにぶれてしまっている点。『恋愛』を主軸に据えているのは悪いとはいわない。しかしあざとさが先に立ってしまっている。話を進めるために無理矢理恋愛させられているような印象になってしまっている点。結局それは、登場人物に対し、感情移入ができていないせいであろうし、そうなってしまったのは、そこに作品なりのリアリティを持っていないせいだと思う。
 設定がわかりにくいのも、リアリティに欠ける理由のひとつ。「世界を調律する」という象徴は悪くない。が、その観念的な言葉が、作品に具現化しきれていない。頭で考えて判るのではなく、必然として感覚として納得できなければ、上滑りしてしまうだろう。
 シナリオの時代性のなさも気になるところである。大時代的な科白まわしで、どうにも古くささを感じずにはいられない。作り手がまだ視聴者だった時代のそれなのである。自分達が好きだった“アニメ”に対する総決算という意気はわかるが、現在という時代からずれてしまえばそれは(制作者がそう思ってはいなくても)単なるノスタルジーでしかない。

 見せ方としての課題。演出は誠実にして丁寧。ケレン味を極力抑え“普通”であることをめざしている。と、いえば聞こえはいいいが、奇をてらわないということは、冒険のなさでもある。“絵で魅せる”ことを運命づけれれているアニメというジャンルにおいては、特にこのようなタイプの作品としてはとしては、それはマイナスのファクターでしかないだろうと思う。普通であるせいで、ケレン味あふれるダイナミズムが生み出すエクスタシーが完全にそぎ落とされてしまっている。
 もちろん、絵がすべてではない。しかし、繰り返しになるが、話と演出にさして求心力がないとしたら、過去の膨大な作品群のデコパージュ以上にはなり得ないのではないか。

 というように、マイナス面だけをあげてしまったが、基本的にTV版ありきの話だったんじゃないかなぁと思うわけだ。TVダイジェストの危険性(ストーリーを語ろうとすると戦闘シーンなどのアニメとしての見せ所がスポイルされてしまい、絵面優先にするとストーリーが判らなくなる)をどのように考慮すべきかのしっかりとしたスタンスがないと、中途半端なものとなり、その結果、喜ぶのはキャラ萌え人だけでイチゲンさんはお断りという世界となってしまうということである。


お話
  1.  山田章博の絵は好きなんだけど、セル絵向きじゃあないね。
  2.  まあ、しかし、けっこう人は入っていたんだけど、彼等はなにを観に来ていたのか、オレはそれが知りたい。たぶんオレとは違うような気がするから。え? オレ? もちろん、ひやかし。


    お話
    ★★ ☆☆☆