(監督/製作/脚本:アン・ビョンギ)
ケータイ電話がリリンリン。あの幽霊可哀想。ふわふわして。
思った以上に正統派の怪談なのだった。そう、“怪談映画”なのだよ、“ホラー映画”じゃなくて。
因果がしっかりしているというのかな。何故それが起こり、それがどういう結果をもたらしたかという点をきっちりと描いている。最近の都市伝説風、あるいは心霊実話風の、不条理、云い換えると、降って湧いたような災難的な恐怖ではなく、呪われる者には理由があるということだ。
もうひとつは、悪魔とか神話的体系による“悪”ではなく、あくまでも対個人的怨念である点。因果応報というパターンに相応しい相手としては当然そうなるだろうけれど、最近ではとんとお目にかかることがなくなってきている。
実に日本古来よりある、因縁怪談話のフォーマットに則って作られている。怪談話としての原点回帰的である。だから古くさいということもできるし、また今時逆に新鮮と思うところでもある。なんといっても神だの悪魔だのって所詮は、知識としての恐怖で、身体の奥に染み込んでいる怖さのツボってこういう因縁話なのだと思う。
と、観ながらそんなことを思っていたのだが、これは韓国映画であるのだ。やっぱり同じアジア圏、しかも宗教観や死生観も同根ってことで、いろいろと近しい感覚を持っているのだなぁ、と妙なところで感心してしまった。
内容は、だから実にわかりやすい。わかりやすすぎるというべきか。そこに不満があるわけでもないけれど。ごく自然に話を楽しむことができたし、怪談娯楽作としてコンパクトにまとめ上げられていて、ヘンに大風呂敷を広げられて破綻するよりはよかったと思う。
ネタとして定番的要素が強いせいで展開は概ね推測できてしまうが、ジャンルとしての王道と考えれば、それは欠点でもなんでもないだろう。(といいつつも、クライマックスで明かされる犯人については、実は予想していなかったのでちょっと驚いた。もっと単純な構造かと思っていたので。侮ってたかなぁ、すいません)
演出も実に正攻法で、わかりやすい恐怖に徹底している。わかりやすいと云っても、グロい絵ではなく怖い絵ってのがよい。因縁怨念モノだから飛び出し系スプラッタ系の脅かしもあまりなく、ある意味気品すらただよっていたりするといったら、ちょっといいすぎか。
もっともわかりやすい正攻法というのは、半面、凡庸でありがちな印象につながる危険性があることも事実である。この作品では、どうにかエンタテイメントの枠からこぼれ落ちることはなかったが、今後、同傾向の作品が現れた場合、このままでいいのかとなると、それはちょっと疑問ではある。