CHART-DATE : (2003/06)
作品
立方体×2
… cube2

(監督/撮影:アンドレイ・セクラ)


お話

 スィ〜ズン・イン・ザ・サァ〜ン  って、違う!


お話

 けっこう期待していただけにショックも大きかった。映像はグレードアップしているのに、内容はかなりのグレードダウン。このネタのよさを誤解してしまってるなぁ、と思った。
 今回行われたことは、つまり結局、元々の設定の表面的な奇抜さだけを抽出して、そこにエクスキューズを設けただけ。確かに、ビジュアル面では金かかってるだけにCGなんかもすごくなってるけど、それってよくよく考えると、こけおどしの部分なんだよ。(といいつつそれほど目を見張るVFXというわけでもないのがまたかなし。ミイラとかね)。
 本当は、もっと根本的な哲学、あるいは哲学的にみえるナニカが、「CUBE」なのだが。
 謎の解明、イコール、誰がなんのために作ったのかということにしてしまうと、設定の奇抜さは陳腐なネタに堕してしまうだろう。なぜなら理解できる範囲内での(そしてそれは予想できる範囲ということだ)説明でしかなくなるからだ。で、案の定、“政府の秘密実験/政府の陰謀”という、あたりまえの帰結にたどりついてしまうわけ。しかも、その幕引きの方法も、どこかでみたような「証拠隠蔽され、すべては闇の中に葬り去られた」というパターン。そうじゃないと思うんだけどなぁ。

 オレとしては、三次元的迷路から四次元的迷宮へとスケールアップしたという、そのこと自体の意味をもっと考えて欲しかった。つまり空間と時間の迷宮に入りこむことで、因果の意味はなくなり、すべては内宇宙へと還元される。時間とはなにか、空間とはなにか、人とはなにか、そして生きるとはなにか、そういう問いへと昇華還元していくことができたはずだ。
 特に盲目の人と記憶障害の人がいたということは、つまり空間の欠如、時間の欠如という意味に連鎖していくべきで、単なるCUBE参加者のバリエーションを出すためだけのにぎやかしではないだろう。いや、そういう活かしかたができたはずなのだ。なのに、なんのために存在したのかの説明もなく、ただのやられキャラとしてしか機能しないのであれば、登場の意味をなさない。

 せっかくの形而上的哲学を映像表現し得るテーマなのに、平凡な話になってしまった。勿体ない。その一言につきる。


お話
  1.  途中で壊れていく探偵はよかったな。体力勝負的で。
  2.  無重力SEXねぇ。いやそういう絵を見せたかったのはわかるんだけど、その結末として、インサートしたままミイラ化するというのは、よっく考えると思いきり無理があるね。

お話
☆☆☆☆

ページトップにもどる