(監督:中江裕司)
どーしよ、プゥー!
面白かったっす! 現実と幻想が境界なく交錯するマジックリアリズムファンタジーだね。これが監督の資質なんだろうし、沖縄という舞台に相応しい表現手法、表現内容であると思った。
しかも、そこはかとないいい意味で下らなさすぎるギャグセンスに大笑い。本当にくっだらないし、だからこそそこに“愛”があると思うんだよね。一例を挙げれば、全編に渡っての「おならプー!」。もうトホホな脱力感が実に、実に!心地よい。
ミエコの生活や行動が実に自由奔放にして破天荒で、これまたすごく気持ちよかった。すぐにヒトの頭をひっぱたくとか、入っちゃいけないベースにどんどん潜り込んでいくとか、本当はいけないことなんだろうけれど、そんなこと気にしちゃいねーぜ、という子ども考えの天然やんちゃぶりに心が洗われる。
子どもの視点の物語なんだけど、それはオトナが考えた“子ども”じゃなくて、本当に「いかにも子どもだったらこういう行動をするだろうな」と身体感覚で実感できるところに、リアリティを感じた。ご近所探検しかり、突然の遠出しかり、見知らぬ子ども達と簡単に仲良くなって遊びほうけたり。つまり行動原理が“子ども”なのだ。思わず自分の子ども時代を思い出していた。
さて、そんな気持ちよさの一端には、ミエコや彼らが暮らす街が、自分の子ども時代を否が応でも思い出させるノスタルジーの触媒になってるせいだと思う。実際に自分の子ども時代は、ああいった無茶っぷりを発揮してた生活だったので、それはもうビンビンに懐かしかったのだが、仮にそういう過去の想い出とのリンクがなくても、誰でも普遍的に懐かしさを感じるような気がするがどうだろうか。誰にもある“子ども時代”や“ふるさとの記憶”を呼び起こすような気がする。
これも推測だが、原風景とは実際の場所だけではなく、子どもの生活それ自体が励起することもあるのではないか。例え都会暮らしの子ども時代であったとしても、子どもの生活それ自体は、都会や田舎など関係ないだろうし、だから、子どもが子どもらしくあることを見るだけで、懐かしさを呼び覚ますのだろう。
だから、話としては散文的で、ストーリーテリングとしては多少もっと整理してもいいのでは、という面もあるのだが、そんな細かいことを気にするのは浅はかなオトナ考えなんだよなぁ、もっと素直に楽しめばいいじゃないか、と自分を見つめ直すのであった。