(製作/監督/脚本/撮影監督/美術監督/編集/出演:塚本 晋也)
ヘビーな内容。ヘビーな愛情。
主人公がどんどん深みにはまっていくエロス。乱れる心と身体。画面ではいつも降り続けるじとりとした雨。だのになぜか湿度感がないのは何故だ? もちろんいい意味で云っているのだけれど。
エロスが多分に行為を伴わない観念的なせいなのだろうか。そこにあるのは、覗姦的不倫行為であるが故の背徳感であり、犯人のせっぱつまった危機感と絶望感である。そこに生臭い性的興奮を読み出すことは難しいし、その必要もない。
あるいはモノクロームな映像がリアリティを消しているからだろうか。例えば、ヴァイブで身悶える姿も即物的なエロティシズムというよりは、スタイリッシュな抽象劇のようである。
しかし、思うに、この作品の根幹に澱む、全編を包み込むタナトスがエロスを上回っていることが、硬質で冷徹である理由であろう。
3部構成になっているのだが、それぞれの章において、視点を担う人物の行為やその波及のありように注目した。登場人物全員がどこか不安や苦悩を抱えていて、それが自者と他者を拘束している。それは云い換えると(いろんな意味を含んで、だが)、他者を思いやる気持ちであるわけだが、己の想いだけを相手にぶつけるだけではそれは単なる暴力でしかない。しかないのではあるが、そこにひとつの関係が生まれるのことによって、変化していくものもあるのだなぁとは思った。
だから、ラストの各人におけるアンハッピーではない結末は、まあ特に感慨があるわけではないのだけれどね。
結局、誰がどうなるという話ではなく、それぞれがそれぞれのやり方で、『自分という者』と『他人という者』を受け入れるという、それだけのモチーフを、トリッキーでスタイリッシュな映像と、ディープでダークなストーリーでくるんで描いたということだ。