(監督:チャン・イーモウ)
かいばんど あるいは みい
なにしろその映像美に圧倒される。画面の意識した色づかい然り。アクションを舞の如く描き出す演出然り。全編をとおしてその「絵ぢから」のテンションが落ちるところがない。あまりにも見事である。赤の世界、青の空間、白の理、そして黒の宮殿。象徴的な具象なる抽象。描き出されるものはそこに真理を内在させる。あくまでも絵。絵こそ真実。そのちからの前にオレは言葉を忘れる。
武侠映画である。が故にアクションを語らねばなるまい。武侠映画特有(?)の重力から解き放たれた、幻想的なアクションワーク。演出の妙とあいまって、一般的なアクションシーンとは別の次元のそれとなっている。だからそこ彼らの剣士としての達人性が際立つ。
見方を変えると、リアリティのない違和感のあるアクションシーンとなるのだが、しかし、これが“武侠映画”というジャンルであることを思い出して欲しい。様式美と一言でまとめてしまうことは簡単なのだが、つまり、これら表現方法は、彼らの力のすごさを表現するための方法論である(あるいはアニメ的、マンガ的誇張表現といってもいい。本来、日本人にとっては馴染み深い表現であるはずなのだが、実写であるが故に受け入れにくいのだろうか)。第一、普通に撮ってしまったらそれは単なるカンフー大会な映画に隷属したことに他ならない。そしてもうひとつ気付いて欲しい。一見、様式的と思われる表現/演出は、そのベースに拳法の(あるいは剣法の)型が深く息づいているということを。
具体的に説明してみよう。例えば、ハリウッドのアクション演出では、飛び上がるときに「ヨイショ」という反動を入れる。普段の我々の動きはこのような物理的エクスキューズによって成立しているからだ。しかし武侠演出においてはこのような動きを必要とはしない。彼ら達人たちはその功夫の力によって物理法則に縛られることはない。考えるのではなく感じること。これが普通なのだ。これを映像とした場合、あのような表現となる。どちらがいい悪いではなく、質が違うだけ。だから、それに馴染めない場合はツライのかもしれない。
少なくともオレには、実に見事に受け入れることが出来たし、堪能することが出来たというだけのことである。
歴史秘話である。暗殺者達の侠気の物語である。その語り口やよし。繰り返される真実への告白。物語をひとつの時間軸で示していくのではない、多層的な演出は、章ごとの色の統一によって強調され、さらに物語りに深みを与えていく。話と絵の見事なる融合。完璧である。
なにはともあれ、オレの03年のベスト1の座は揺るがないことだけは事実だ。