CHART-DATE : (2004/01)

題名

武士道
… ラスト サムライ

(監督/製作/脚本:エドワード・ズウィック)

お話

 死ぬこととみつけたり

感想

 不覚にも本泣き。男泣き。ラストにはもう号泣。いやぁ、もう本当に心を揺さぶられまくった。

 はじめのうちは“ニッポン勘違い”的ハリウッド映画の不安があったせいか、「ヤシの木がはえてるって、なんで?」などのちょっと冷めた観かたをしていたのだが、話が進んでいくうちに、オルグレン大尉同様、サムライ達の生きざまにぐいぐいと引き込まれていってしまう。クライマックスの戦いの前夜、サムライ達の静かなる覚悟を描くシーンで「グッ」ときて、勝元の死にざまに敵味方皆が頭をたれるシーンではもう落涙、ボロボロと泣いてしまったよ。とどめにラストでの大尉の科白がまた泣きのツボを駄目押し。『死してなお想いは生き続ける』というシチュエーションにオレは滅法弱いんだよなぁ。

 この映画が語る物語は「サムライの話」ではあるが、“侍の魂”ではなく、実は“剣の道”ではなかったのかと思う。個人的な解釈ではあるが、“侍道”イコール“剣の道”ではないわけで、つまり、ここでいう“サムライ”とは「侍という江戸時代まで続く特権階級」ではなく、「思想としてのサムライ。自己を律し、剣を媒介として求道していく者達」と認識している。要するに『武士道』という言葉で表現できてしまうのかもしれない。どうもそこらへんのニュアンスは、自分でも上手く整理がついていないんだけど、たぶん判っていただけるだろう。

 そういった精神面で求道者としての存在であったからこそ、オルグレン大尉は、「考えるのではない。感じるのだ」的な剣の道に、自らを見出していったのだな、とも思う。
 それを科白でなく、これ見よがしでもなく、例えば、東京での闇討ちで刀で戦うことにより悟るシーンや、また、勝元救出のシーンで技量が対峙する者同士の正々堂々とした闘いのシーンなどで、映像として描き出されているところにこの映画の底力を感じずにはいられない。

 ともあれ、己を見失っていた一人の異邦人の救済の物語を縦軸として、明治という時代におけるオリエンタリズム満ち溢れたファンタジー(けしてリアルな歴史絵巻ではなく)として、見事に結実させている。見事の一言である。いや、一言では表しきれるものではない。

 そんな思想的な話の見事さもさることながら、アクション映画としても実によくできていて、まずなんといっても殺陣が素晴らしい。型にとらわれた剣道ではなく、実践的で、如何に相手を倒すかということに主眼においた実践的な剣なのだ。だから殺陣も段取り芝居的ではなく、まさに“闘っている”感じが伝わってくる。もしこれが、いわゆる一般的な剣道(あるいは殺陣)の型による表現であったなら、勝元たちが強く愛すべき、そして、であるが故に旧態として取り残されていってしまったかの意味を成さなくなってしまっていることろである。物語と表現にブレがない。これが非常に重要なのだ。

 そんな人のダイナミズムと対照される、自然。人々の日常風景。叙情的に優しく描ききっている。

 様々な意味で見ごたえがあり、すきがない。飽きさせない。2時間半という長尺ではあるが、全然長さを感じさせなかったというのは、映画の求心力が強い証拠であり、傑作であることの証でもあろう。

補足

 まあ、それにしても、自然の美しさは承知の上で、やっぱ日本の風景とは違うなぁってのがわかっちゃうのが悲しい。冒頭の椰子の木なんかはあからさまだけど、細かいところでは、あんな形で雪渓を持った山なんてない、とかね。まあ描きたいもの気持ちは十分に伝わってきたし、これはファンタジーなのだから、別に決定的なマイナスなどではない。むしろここで感じなければならないのは、こういった美しい景観や地力を、日本は100年で捨ててしまってきたんだなぁということだろう。

星取

★★★★★

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