CHART-DATE : (2004/02)

題名

縞馬男
… ゼブラーマン

(監督:三池 崇史/脚本:宮藤 官九郎)

お話

 白黒ショー!

感想

 うーん。つまらないわけじゃあないんだけれど、微妙に空まわりしている感じがちょっと観ていて辛いかなぁ。あともう少しでツボにはまるのにもどかしく、隔靴掻痒って言葉が相応しい。

 クドカンっぽさが、あまり活かされていないなぁ、なんか死んでるなぁと感じたのだ。
 そう感じた理由のひとつは、クドカンっぽさとは一体何かということになるのだが、オレの思うクドカン節は、一見どこにでもいそうな等身大の登場人物達による、ちょっとズレたオフビートなニュアンスにあると思うのだ。ところが、今回のテーマ/モチーフであるスーパーヒーローは、そもそも等身大という設定はありえないのである。確かに等身大のヒーローという設定そのものはあってもよいのだが、その場合「等身大が本来ありえない設定を等身大でやってしまうおかしみ」がポイントであり、クドカンの「等身大なのにちょっとズレたパワーのおかしみ」とは実は、正反対なのではないか。と思うのである。
 もうひとつの理由は、既出作品のイメージに惑わされているのかもしれないのだが、お互いの持つ作風の温度が違っていて、クドカンのオフビートな脚本と、ちょっとイカレタ熱病的残虐性の三池演出とはあまり相性がよくないような気がする。例えば、三池演出を特色づけるエグイ残虐描写が、全体のオバカな雰囲気の中で微妙に浮いているのが感じられる。
 脚本にしても、演出にしても、絶対の“ダメ”があるわけではないのに、なんとなくのりきれないのは、本当にもったいない。

 ある意味、スーパーヒーローモチーフに望むこちらの思いこみ/思い入れによる色眼鏡のせいで、ファンダメンタルに楽しめなかったという面もあったのかな、というのは自分でもわかっているのだが。それはどういうものかというと、コメディなのにカッコイイというのをやるには、それまで情けなかった部分を、どこで大転換し、ヒーローたらんとするカタルシスにつなげるか。ということになろうか。
 本作品においては、基本構成における『伝説のヒーロー降臨譚』、『予言の実現』、『運命を超える希望』であるわけだが、その中のどこにスタートライン(情けない姿)を設け、それをどう乗り越えるか(ヒーローとしての姿)を、どのように強調し、心地よさにつなげるかのバランスがあまりきちんと決まっていないように感じられた。もともとコメディ調であるため、基本点は比較的わかりやすいが、ヒーローとして成立するためのシリアスが、カッコイイ方向ではなく、親子や恋心といったウェルメイドに振られてしまっていて、それはちょっと違うなぁ、と思うわけだ。
 バランスの悪さの別例として、飛ぶ訓練のシーンについては確かに重要なモチーフであるが、あそこまで丹念にじっくりと冗長に描く必要はなくて、前半のさえない親父像はベースとして確定しているのだから、そこまでさえない部分を描くのは必要はない。反面、ヒーローの力を得たことによる、驚きや喜びの表現は不足しているように感じられたのだ。

 発想はすごくいいと思う。そのアイディアが全開しきれなかったのが実に残念だ。

補足

  1.  特殊機関の話にはまったく関わりのないバカなやりとりは、とってもクドカンっぽくてナイスだった。
  2.  ゼブラーマン最終形態のコスプレはやっぱ気合が入っていてカッコよかった。もっと活躍させろよー、と思った。
  3.  TV版「ゼブラーマン」については本編設定上重要なのだが、実はオレって、なつかし特撮をありがたがる嗜好がないので、あまりああいう感覚はよくわからないんだよな。だので、あまり「そうそうこれこれ!」みたいな高揚が味わえないのだ。我ながら難儀なことではあるが。

星取

★★★ ☆☆

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