CHART-DATE : (2004/04)
(監督:ジョン・ウー)
しかしあれだけの才能があったら別に記憶と引き換えにするんじゃなくて、発明とパテントのほうが費用対効果でかくないか?
普通に面白いサスペンスであった。
そう、あくまでも“サスペンス”であって“SF”じゃあない。記憶をいじるというアイディアがSFとしての要素であるというなら、それはそれなのだが、しかしそのアイディアがストーリーの本質に絡むのではなく、主人公が障害に巻き込まれる状況を生み出すためのツールとしか機能していない。ということは、極論すればそのアイディアは代替可能なパーツのひとつでしかなく、故にこの映画はSFではなく、それを目指して作られてもいないということだ。それを証明するかのように、未来世界的な世界観、映像、演出はほぼ皆無で、基本的には現代と地つなぎのそれである。
そして、話の着地点もまた、「記憶が変わること、失うこと」に対する結論ではなく、「たとえそうなっても、今を生きること。そして愛は変わることはない」という感情論に落とし込んでいる。もちろんそれはそれでいいのだ。決して誤りなのではない。サスペンスアクションとして、ストーリーに決着をつけるためには、ヘンにひねらず、ポピュラーで、だからこそ普遍的な主題を用いることも重要だと思う。
別にSFであるかどうかということは作品にとっての出来不出来の判断基準ではない。映画にとっては、面白いか否かの指針は数多くあるが、少なくともジャンルは基準ではないと思う。
ま、しかし、SFじゃないのにSF映画として云われちゃったりすると、ちょっと違うんだけどなぁ、とは思うわけで、とりあえず押さえておきたいと思った次第である。
ことろで、ジョン・ウー演出はやっぱりウーでした。スローでマントでハトなのである。ケレンなのである。中盤まで実に普通にスタンダードに演出してきたのに、逃避行に入るやさっそくウーっぷりを発揮するのである。ある意味正しい。客が求める、わかりやすいスッキリ感を作るということをわかっている。
だから、ラストの愛も金も未来も手似れることが出来たというハッピーエンドが意味をなすのだと思う。
★★★ ☆☆