CHART-DATE : (2004/12)
ソフィーの動く家
(監督:宮崎 駿)
怪人鳥人間と妖怪少女婆、機械化屋敷で逃亡す。之巻
はじめ思っていたよりも面白かった。話として。流行のRPG的な所謂ヒロイックファンタジーではない、異世界ファンタジー(ハイファンタジー)。かつては王道のファンタジーの一翼であったタイプの物語である。オレは(地つなぎのファンタジー=ローファンタジー)はあまり好きではなく、故に「待ってました!」という感傷は強い。
特にこの話のよさはファンタジーを成立させている独自の世界観だと思う。突拍子もない世界ではなく、同じようで違う世界。魔法が“ある”ことが普通である世界。もちろん今までに観たことのない世界ではない。しかし、単なる定型ではなくオリジナリティを美味くを加味しているところに拍手である。
そんなわけで、巷では判りにくいと云われている話だが、オレとしては違和感なく、すんなりと楽しめた。確かに、ある種のファンタジーの流儀(というか納得する技術に近いかな?)を知っていないときついかな、と思うところもないわけではないが、本もTVも観たことがないという人ならともかく、そのくらいの想像力の下準備は普通はあるもんでしょ。
そういう確信犯的な部分の他にも、主人公ソフィーの性格が安定していない(引っ込み思案なのか積極的なのか判らん。とか)など、ストーリー展開上の穴はあるんだけれど、それは観客の深読みでカバーすべき範囲だと思うし、何から何まで懇切丁寧に説明したければいけないというのは、逆にサービス過剰だと思うのだ。
というわけで、物語に対する感想としては「よかった」の一言に尽きるのだけれど、これってつまり原作に対する感想だったりするんだなぁ。
では、アニメ映画としてどうだったのかというと、ちょっとね。難あり。期待はずれった。
まず、絵が思っている以上に動いていない。動く城の造形は「さすが」と思ったが、それ以外のアニメーション、特にキャラクター表現については、絵づらの地味さも含めて、「こんなんで威張ってそれでいいのか?」と疑問を抱かずにはいられない。
絵(キャラクター造形)に魅力が感じられないというのは、まあ、俺がジブリ絵にほとほと飽きているせいではあるっていう理由が一番大きいのだけれど、それだけではなく、具体的にどこがという説明もし難いのだけれど、とにかく華がないのだ。主人公が“おばあちゃん”で萌え的に弱いというような表層的なレベルではなく、目を惹きつけるオーラがない。あえて云うなら荒地の魔女やカルシファーなどの脇役が一番魅力的なのである。つまりそれは、“アニメーション=動く絵”となっていないせいであろう。だから、魔女やカルシファーといった、動いているキャラが際立ってしまっているというわけだ。
背景についても、やっつけ仕事とは云わないが魅力はない。特に高地の花畑はひとつの見どころなのだけれど、単なる絵にしか見えない。これは絵がどうこうというより(まあ確かにちゃらっとした絵ではあるが)も絵コンテ上の問題なのかもしれない。もっと景観を感じさせるカット割りで、空間の広がりを実感させてもらわないと、登場人物たちの感動を追体感できないし、感情移入もなく、総じて作品への入れ込みを削ぐこととなっていく。
どうもそういうアニメとして魅せるための細部の詰めができてないのが、どうにもつらかった。
事程左様に新鮮味がないってのは、ようするに監督の疲弊なのだろうかね。やっぱりどこの世界でもカリスマ支配による世代交代の困難さは、停滞にしかならんのだなぁ、と思うのであった。
★★★★ ☆