CHART-DATE : (2003/12)
windstrike
(監督/脚本:クァク・ジェヨン)
もう寝たし。
「愛する者の喪失」という話にはお涙頂戴的な設定がみえみえで、確かにラブストーリーの基本原則に則ってはいるが、そこに少々あざとさが出てしまっていているように感じられ、オレとしては気持ちの上でひいてしまったところがある。
故に比較的醒めた見かたをしてしまった部分は多分にあって、どっぷりストーリーにつかることなく、成程そういう展開の選択肢を選ぶか。というような、いやらしい見かたをするようなあまりいい観客ではなかったのだった。
ストーリー展開上、雑だなと思ったのは、エピソードの立て方が、少々強引なところで、例えば、夜の補導でギャングの抗争に巻き込まれる。とか、二人が旅行に出かけた先で急に崖崩れにあって死にかける。とか、そういうのってあり? 韓国ではそういうのが日常なのか? そんな訳はないだろう。エスカレーションタイプのコメディ設定と思えばいいのかもしれないが、ちょっとね。ミョンウがほいほい現場に出ていって殺されちゃうのだって、なんか話を進めるため、そして泣かせるための取ってつけたような強引さを感じてしまって、それはちょっとやりすぎなんじゃないのかなぁ、と思ったモノである。
が、しかし、だ。
映画としてオレはこの作品をよしとする。それは、この映画にはそんなアラを上回る魅力があったからだ。それは何かと訪ねたら、「チョン・ジヒョンの魅力である!」と断言する。オレは役者主導の映画の見かたをするのは実に不本意極まりないのだが、彼女の一挙手一頭足がすなわちこの映画の推進力なのだから仕方がない。というのは、まあ云い過ぎだけれども、ひとりのちょっとだけ普通じゃない女性がいかにして愛を見つけ、失意し、立ち直るかというストーリーを、その一点だけを描くことだけを、この映画は目指していて、それを見事に体現している。その推進力であり、また成立させるための前提条件がジヒョンだったのではないか。と。
そう考えれば、この(やや?)自意識過剰で過激な女性を作品の求心力とすべく、お話(と演出)もそれに相対するため必然的に過剰設定になったのだ、とも(と云うものこれまた云い過ぎ)。
まあ演出として、主人公のキュート性を前面に押し出しているし、なによりもミョンウの一人称映画なので、彼女が“主人公”となるのは必然なんだけど。ね。
冒頭、「雑だ」と云ってしまったが、この話はひとつのファンタジーなので、許せない問題ではないし、別にそれをもってダメとはいわない。ちゅーかアリでしょ。
そんなこんなで、ですが、クライマックスからあまりにも泣き主体となって、ちょっとやりすぎくさいなあ。と思いつつも、ま、許せるかなぁ。てな気分で観ていたわけですが、しかしラストに至って、すみません、泣いちゃいました。
この映画の一番成功したところはタイトルだと思った。正しくは邦題が、なので日本の配給スタッフの勝利だと思う。というのも、ラストのシーンで、このタイトルのもつ意味、『彼が、彼女を、彼女の幸せのために、託す』。そのときの科白が「僕の彼女を紹介します」であったとは! 単なるキュートなタイトルではなく、そこにこめられた愛、想い、死してなお生き続けるつながり、それがオレの心を打ち抜き、涙腺スイッチ機動。泣きツボパターンに見事にヒットしてしまったのである。
特に、託す相手が、彼であること、あるいは彼でなければならないこと。もその理由なんだけど、それはつまり、楽屋落ちとしての要素ではあるのだけれど、それ以上に作品を成立させる要因として、これが四天王に代表されるイケメンだったら醒めちゃうってことなのである。前作(って見かたはしちゃいけないんだけど)で、インプリンティングされた架空の彼の人となりを、観る側は励起していしまうし、故にやっぱり顔じゃあないのよ、ハートでしょ。とばかりに納得させられる人選。この話のエピローグに納得し、かつ泣くわけですよ。これは楽屋落ちというよりもあてぶりとしてあってよいものだし、それにオレはまんまとはまったわけだ。
ちゅーわけで、満足です。
★★★★ ☆