CHART-DATE : (2003/12)

題名

功夫発する!
… カンフーハッスル

(監督/製作/脚本:チャウ・シンチー)

お話

 にゃぁ〜、ぎゃ!(しどすぎる! 猫好きの心の叫びとして!)

感想

 いやぁ、まいった。「ありえねー」という宣伝文句に騙されたよ。表面的な見てくれはどうあれ、チャウ・シンチーはすごく大マジメに取り組んだんだなぁ、“カンフー映画”について。いやホント。

 それは70年代(?)の、というより、ブルースリー全盛期におけるカンフー香港映画への限りない愛あふれるオマージュである。またそれは、カンフーという武技/思想/事象が体現する『武侠の物語』でもある。極論してしまうと、ジャッキー・チェン以降の(より正確にはポリスストーリー以降の)カンフー映画は、基本的にカンフーではなく、カンフーを取り入れたスタントアクションであり、(武術として、また悟りとしての)カンフー、そしてカンフーを持つ者を描くものではなくなってきた。云い換えると「カンフーとは」という本質を問うことはなくなってきたのである。
 本作品は、そんな状況下における原点回帰なのである。
 とは云いつつも、チャウ・シンチー映画である以上、ものごっつい下品でベタなギャグで満ちあふれているのはお約束なのである。そこをとって、パロディーであるとか、おちょくりであるとか判断するのは早計で、コアにあるものは、あくまでもカンフー映画、そしてカンフーに対する敬意であるのは揺るぎない事実。演出上、確かにおちゃらけているところもあるが、ストーリー自体はまことに真っ正直で直球勝負。現代に生きる喜劇人(?)としてお笑い要素を入れてしまうのは本能であるが、そんな表層をめくりとればそこにあるのは、真摯に取り組んでいる姿である。と思った。

 だから。  この映画を、ギャグ映画を観ようと思ってきた人にとっては、思いきり訴えかける力は実は、ちょっと弱いのではないか、とも思うのだった。微妙に違うと思うかもしれない。(ま、この微妙なところがまた曲者で、まったく大外しってほど空かされているわけじゃあないのが困ったところで、面白くないってわけでもないんですよねぇ)
 それにしても、この作品がすごく真面目でマジな映画であることにどれだけの人が気づいたのだろうか。
 それは思想的な部分だけではなく、作法の部分でも云えるようにオレは感じた。例えば、細かな伏線の張りかたの妙である。主人公の中に真の功夫が眠っていることについて、信号内で暴れているシーンで明喩している。しかし、そこに至る部分でギャグを散りばめていることで、意図せず(?)カモフラージュされている。事程左様にギャグとしての過剰さと力持つ者故の過剰さを同時に描く事で、実はマジに取り組んでしまっている事に対する気恥ずかしさを隠したのではないかなぁ、と思う。

 “一目見ただけで大爆笑”的な判りやすさ/単純さを持っている映画ではない。ま、単純は単純なんだけど、その裏にあるカンフー映画を限りなくリスペクトする気持ち(もちろん、そんなこと判らなくても楽しめるが知っていればなお面白いという意味で)を、感じることでよりいっそう楽しめる。そのためにワンツイストかけた演出も行っている。そう考えると、初見だけではなく、2度目3度目が美味しい映画であるともいえるだろう。

補足

  1.  と云いつつも、くっだらないオオバカ映画であるといえは全くそのとおりで、口が裂けてもシリアスカンフーアクション映画だなんていうつもりはまったくありませんことよ。全編、バカ。全編、下品。もちろん褒め言葉である。
  2.  でもって、オレ自身、一発でハートを鷲捕まれたわけではなく、はじめはスラップスティックコメディを想像していたせいで、違和感はあったですね。後になって、頭でいったん咀嚼して「これはそういう映画だったのか!」と判ってはじめて、面白さがズンと広がった。そういう観かたをしましたよ。
  3.  さえない中年たちが実は功夫マスターであることのカッコよさにモーレツにしびれました。基本的に「在に潜む達人」というシチュエーションに弱いんだよな、オレ。3人が立ち去るときに手合わせをっていうシーンにはグッときまくり。でもって、そのあとの暗殺シーンがまたケレン味にあふれている。残酷なシーンをモロに見せず影で表現する余裕っぷり。コンテマンの心意気やよし!
  4.  今回女優が地味だったね。ちゅーかいらないといえばいらない役。
  5.  冒頭の斧頭党のダンスシーンが小気味よい胡散臭さで超ナイス。

星取

★★★★

 ▲ページトップにもどる