CHART-DATE : (2005/02)
黄昏手紙2
(監督:塚本 連平)
ユーガッタ冥路!
なんか物凄くステレオタイプな映画。全然つまらない出来ではなく、それなりには仕上がっていて、だからこそオレとしては全然物足りなかった。
まず、云いたいのは脚本が凡庸だということで、こういうシーンなら必ず話されるであろう科白を、そのままなんの捻りもなく臆面もなく喋らせてしまうってのが、多すぎる。要するに、紋切口調バリバリってこと。例えば、霊が出てきたらギャーと叫ぶ。って、ここ最近高度に進化した日本のホラー映画シーンにおいては、あまりにも陳腐。
もう一例としては、なにかを説明しようとするシーンになると、あまりにも段取的な説明口調となってしまい、絵や動き、つまり演出で説明しようとする工夫に欠ける。
加えて云うなら、台湾人ジャーナリストの科白もオカシイ。日本語を学んだ外国人の話し方じゃない。普通に若い男性の科白を書いて、それを読ませたって感じになっていて(それはオレの偏見的な見方なのかも知れないが)全然現実味を感じない。ホラー映画という大嘘を納得させるためのリアリティをどう積み上げていくか、ということについて、脚本サイドからのアプローチが感じられないのだ。
そう気になりだしてしまうと、科白が基本的に、『主語→述語』という順番で話されていることにすら気になってしまう。普通の会話って、もっと主語が抜けたり述語を抜かしたりと、雑な話し方になると思うのだ。そして、それがリアリティになるのではいか? そういう工夫がない。
そんなわけで、ストーリー展開もなんかギクシャクしていて、いきなり台湾の炭鉱に行け。と云われても、そんな突拍子もない荒っぽい展開ってないよ。クライマックスの炭鉱シーンだって、みんな入ったり出たり入ったりやってる行動がちぐはぐ。正直、映画の台湾展開を狙っての商業的作戦なんじゃないのか? そのための無理矢理なストーリー構成なんじゃないか? そう思わざるを得ない。
本来、重要なシークエンスである口を縫われた少女の噂も、何故そこでそういう話が出てくるのか必然性がない。唐突かつ強引にストーリーの中に割り込んできても、それではあまりにもつながらないでしょ。
ネタとしてのケータイによる呪いの伝播だって、中盤以降、順番どおりなんじゃなく、もう無作為で規則性もなにもあったものではない。この怖さのポイントは「次はオレなのに、それを回避できない恐怖」にあると思うのだが、その枷がなくなってしまえば、それはただのジェノサイドでしかない(ってそこまでひどくはないか)。
とにかく、ホラーにはそれなりにルールが必要なわけで、それを無視してなんでもアリにしてしまうのはするのはやっぱり判っていないと思わざるを得ない。
で。
そんな脚本を演出が全然救っていないんだ。脚本のステレオを、そのままステレオで演技つけてるような感じで、全編に渡っての段取芝居になっている。これは役者の出来不出来以前のはなしで、映像化するセンスの問題なのだろう。脚本の悪さで「怖いシーンで叫ぶ」となっていても、それをどう叫ばせるかは監督の腕だと思うのだ。実際に怖いときに、普通にキャーって叫ばせないで、例えば、タメをつくるでもいいし、怖くて笑ってしまうというバリエーションだってアリだと思う。それが現実におけるリアルかという点は、また異論もあるのだが、少なくとも段取りで流されてしまうことによって、漂いだすウソ臭さからは脱出できると思うのだが。
そういう怖い映画を、本当に怖くするためのリアリズムをどう積み上げていくかって部分でまだまだだなぁと思うところが多かった。
結局、既存のジャパンホラー(をはじめとする古今東西様々なホラー)の怖いパーツをむりやりにつなぎ合わせただけで、つくったんじゃないのかと思わざるを得ない、そういうどこかで見たような映像の繰り返しで、なんか拍子抜け。だから全然怖くもなく、なんか、あぁ〜、もうまたこういうのか。ってゲンナリするのであった。
★★ ☆☆☆