G式過剰



第5ステージ
『みないでっ!』

 数々のニュースを例にあげる必要もないほどに、ここ最近の性に関する意識やモラルの乱れには目をみはるものがある。『恥らい』という言葉は死語となってしまったかのように、若い女性は(もちろん男性も、だが)、惜しげもためらいもなく、いとも簡単に人前に裸をさらす。さらに裸はおろか、排泄行為までさらけだすに至っては、世紀末ここに極まれり。まったくもって嬉しいか… じゃなくて嘆かわしいかぎりである。

 恥ずかしいと思う気持ちがなくなってきたのだろうか。裸であること、裸を見せることが、昔ほどタブーでなくなってきているということだろうか。
 それはそうだろう。街にあふれる性風俗情報、裸=金になるという価値の確立。これでは脱がないほうがどうかしている。

 しかし、だからといって羞恥心自体が低下した、なくなったと考えるのは早計であろう。恥ずかしいと思う気持ちは、おそらく不変なのだ。ただ、その基準が変化しただけなのだ。では具体的にはどんな具合に変わったのか。それは普段、人前から隠されている部分で、かつそれ自体に金銭的価値が(よほどのフェティストは別として)ないところ。

 例えば、内耳がそれだ。
 普段、ヘッドホンで隠されているその部分が、人前にさらけ出されたときに感じる羞恥心はいかほどのものであろうか。
 タカシとナオミ。すでに深いつきあいな二人である。

「なあ、ナオミ。ちょっときいてくれよ」
「え? あ! なにするの?!」
「なにってヒソヒソ話じゃん」
「やめて! いやらしいっ」
「いやらしいって、だから話が…」
「もう近寄らないで。アタシ、結婚するまで清い内耳でいるって決めてるんだから!」

 例えば口はどうだ。オーラルプレイというのもあるし、性的ではあるかもしれない。しかし歯はどうか。ある日のナオミの家族の様子を見てみよう。

「っ痛〜、しみるぅ」
「あら、虫歯なの。早く歯医者に行ってきなさい」
「絶対、いや!」
「そんなこといってるとますますひどくなるわよ」
「だってぇ…」
「そうだぞ、ナオミ。なんたって身体が資本なんだからな」
「いやだったらいやなんだってば」
「駄々をこねてないで行ってきなさい!」

父親に叱られ、むりやり歯医者に行ってきたナオミ。泣きながら家に戻ってくる。

「…ただいま…」
「おかえり、まあ、どうしたの?」
「そんなに痛かったのか?」
「治療されちゃった。むりやり口を開いかされて… もうアタシお嫁にいけない!」
「犬に噛まれたと思って早く忘れましょう、ね?」

 このような会話が、そこここで行われている昨今である。

 しかし、用心しなければならない。
 性の意識の変化というのはダイナミックに今も進んでいる。性の商品化が進み、いずれは内耳や歯も、人前に平気で見せる若者が巷を闊歩する時代が来るのかもしれないのである。

99年06月20日

G式過剰