数々のニュースを例にあげる必要もないほどに、ここ最近の性に関する意識やモラルの乱れには目をみはるものがある。『恥らい』という言葉は死語となってしまったかのように、若い女性は(もちろん男性も、だが)、惜しげもためらいもなく、いとも簡単に人前に裸をさらす。さらに裸はおろか、排泄行為までさらけだすに至っては、世紀末ここに極まれり。まったくもって嬉しいか… じゃなくて嘆かわしいかぎりである。
恥ずかしいと思う気持ちがなくなってきたのだろうか。裸であること、裸を見せることが、昔ほどタブーでなくなってきているということだろうか。
それはそうだろう。街にあふれる性風俗情報、裸=金になるという価値の確立。これでは脱がないほうがどうかしている。
しかし、だからといって羞恥心自体が低下した、なくなったと考えるのは早計であろう。恥ずかしいと思う気持ちは、おそらく不変なのだ。ただ、その基準が変化しただけなのだ。では具体的にはどんな具合に変わったのか。それは普段、人前から隠されている部分で、かつそれ自体に金銭的価値が(よほどのフェティストは別として)ないところ。
例えば、内耳がそれだ。
普段、ヘッドホンで隠されているその部分が、人前にさらけ出されたときに感じる羞恥心はいかほどのものであろうか。
タカシとナオミ。すでに深いつきあいな二人である。
例えば口はどうだ。オーラルプレイというのもあるし、性的ではあるかもしれない。しかし歯はどうか。ある日のナオミの家族の様子を見てみよう。
このような会話が、そこここで行われている昨今である。
しかし、用心しなければならない。
性の意識の変化というのはダイナミックに今も進んでいる。性の商品化が進み、いずれは内耳や歯も、人前に平気で見せる若者が巷を闊歩する時代が来るのかもしれないのである。