週末、新宿のダリ展に行った。
ひさしぶりの美術展、それもメジャーどころのものとあって、予想どおりの人混み。自分のペースでまわれない。自分の距離感で鑑賞できないという状況で、覚悟していたとはいうものの、やはりきついものがあった。あったが、急かされることがなかっただけよしとする。
ダリ自体はとても面白かった。一般的によくシュールリアリズムは難解だといわれるが、オレはそうは思わない。確かにわかりにくい面はあるが、それは単に現実にはないカタチを常識の枠内でとらえようとするからだろう。無理に理解しようとする必要などない。オレは、それよりも作者が『こんなんやってみたら面白いかも』みたいなオモシロさ優先な表現の楽しさ、ノリ(グルーヴ感といってもよい)が、感じられて、「なんだ、このオッちゃんも所詮はそういう人なんだ」というのが実感できたことのほうが嬉しい。
そもそもオレは芸術家が重厚で思慮深いというのは大いなる誤解だと思っている。特にダリはいい意味での不真面目さが前面にでてきていて、そういう部分に共振するみたいだ。
また、作品としてはシュールなモチーフよりも、背景や風景のグラデュエーションのすごさに惹かれた。ぬめらかな陶質感。オレは溶けた時計よりも蟻よりもこの質感にダリらしさを感じる。
しかし、今回の展示で一番グッときたのは一連のポートレイト写真であった。面白いからやっちゃえ的な茶目っ気たっぷりの写真群には、「うぉー、オレもこういうの撮ってみてぇ」という創作欲をそそらされた。まったく数年前までは絵の人だったオレの大いなる変質ぶりに我ながらビックリするが、絵も写真も表現の手段、方法が違うだけで、こういう表現をしたいという気分は同じなんだとも思っている。
そんな感じで見終わったのだが、さて、ここからが本題。オレはTシャツコレクターなのだった。それもファッション系のものよりも、みやげ系のもの中心にやっている。美術館、博物館といったら“T”の宝庫である。というわけで期待を胸にスーベニールコーナーに向かった。
ところが、ダリ展で用意されていた“T”は1種類。しかもダリのサインをプリントしたもの。
違うんだよな。デザイン的には割とイケテルとは思うのだが、しかしオレの心には響かなかった。だって普通なんだもん。ダリといったらもちろんアレでしょう? あれほどのシンボリックなキャラがあるのになんで普通の“T”を作るかな。もちろんそれは溶けた時計でも蟻でもない。オレが買いたい“T”はこれだ。
というわけで、世のスーベニア企画担当の方々には、これからTシャツを作る際にはぜひご一考をお願いしたい。