時折しも木枯らしふく年の瀬である。となれば忘年会のシーズン。となればもちろん鍋。これこそ師走の三段論法だ。
さて、鍋といってもその種類は星の数ほどあるわけで、数が多くなればなるほどそこに優劣が生まれたりもする。
人それぞれに「これがこそが鍋」という鍋に対する熱い思いがあろうかと思うが、オレの3大鍋といえば、『フグ』『スッポン』『アンコウ』である。別にこの3つが最高鍋ということではない。これ以外の鍋にも旨い鍋は当然あるし、そもそも鍋好き奉行としてはどんな鍋も大好きだ。しかし、この3つはオレの中では“特別”な存在なのである。それは「好きだ」という気持ちでも「旨い」というものでもなく、そう特別としかいいようのない不思議な感情だ。
じゃあ、逆に、3大平凡鍋はというと、これ。『寄せ鍋』『ちゃんこ鍋』『水炊き』。もちろん不味いとか嫌いとかいう理由でではない。なんとなく「普通」。そういう感じである。
これら以外の鍋も含めて、どの鍋も美味さそれぞれ甲乙つけがたいものだし、調理法も基本的にはいい食材を鍋で煮るというフォーマットは変わらない。にもかかわらずこの差はどこからくるのだろうか。
つらつら考えてみるに、これは子供時代の食卓に起因しているらしい。ぶっちゃけていえば「我が家の夕食に出てきたかどうか」ということだ。
どこのウチでもそうだと思うが、寄せ鍋やちゃんこ鍋は、誕生日とか親戚が遊びに来たとか特別のイベントがなくても結構頻繁に食卓をにぎわしていた、出会うことの多い鍋である。その次にスキヤキやシャブシャブ、カキ鍋、カニ鍋といったたまに会える鍋があったわけだ。ということは、つまりそう、平凡鍋の正体は心わきたたせることのない普段着の鍋なのであった。
で、肝心の3大鍋であるが、こいつらにはあったことがなかったのだな、子供の頃には。家庭でなかなか扱うことのできない食材ということもあるだろうし、昔は流通経路も確立されておらず手に入りづらかったせいもあるだろう。まあ、そんな理由はどうあれ、とにかくこの3大鍋の初体験はもうかなり最近の、オトナになってからの出来事であった。
で、実際に食べてみた感想は所詮鍋は鍋。確かに旨かったけれども他に較べようもないほどの至上極上の味覚というほど(違いはあっても)差があるもんでもない。
ちなみに現時点でのオレの最高鍋は厳冬の富士五湖キャンプで作った茸鍋なのだが、コスト的には3大鍋の10分の1以下だったと記憶している。
しかし、(それでも刷り込みというものは恐ろしいもので)オレの心に変わりはなく、『フグ、スッポン、アンコウ』今でも燦然と輝く鍋の星であり続けるにちがいない。えてしてそんなもんなのである。