能を観に行ってきた。今年の個人的テーマのひとつ「古典芸能に触れよう」の第1段。というわけだ。
ものは横浜能楽堂1月定期公演の蝋燭能。蝋燭のほの暗い明かりの元に繰り広げられる幽玄な舞(予想)。初体験にふさわしい演目であるといえよう。が、実際には蝋燭だけでは場内はあまりに暗すぎるので、別に舞台に照明をあてていた。個人的には多少暗くてもいいから本当に蝋燭だけでの舞というのも見てみたかった気もするが、これは難しいところだなぁ。
さて、今回の演目。狂言は『蛸』、能は『黒塚』だ。
狂言は中学の時に授業の一環で経験済み。そのときは「けっこう面白いじゃん」と思った記憶がある。だから今回もわりと期待していたのだが… 『蛸』はどうやら能の様式を踏襲した変化球作品で、おなじみの滑稽な掛け合い笑い話ではなかった。なんか能独特の節回しの状況説明のみが続き、面白みという点ではいまひとつ。ちょっとがっかり。とりあえずの見どころとしては蛸の衣装で、頭に蛸の描き割りをのせるだけというあまりにもストレート過ぎる造形にはちょっといっちゃってる感の味が出ていてよかった。
狂言で肩透かしをくらったせいで、能もどうかなぁと不安になってきた。楽曲演奏的要素も大きな動きも少ない能である。オレのような初心者にはその味がわからず退屈してしまうのではないだろうか。
ところがさにあらん。これが思いの外、面白かったのである。
『黒塚』は行脚中の山伏が安達が原で鬼婆を退治する話である。
ふたりの山伏が一夜の宿を求め、老婆の一軒家にたどりつき… というところまでは確かにあまり動きもなく、これはやっぱりかわされたかという感じだったのだが。ところが老婆が山に薪を採りに行き、山伏の行者が老婆を疑い出してから話は俄然盛り上がりはじめる。従者と山伏の滑稽な掛け合いから、老婆の寝室の中の死屍累々の白骨の山を発見。鬼婆を調伏するに至る一気呵成怒濤のクライマックス、そのたたみかけるような展開、ダイナミズムに酔いしれた。面白い。思った以上に面白い。本当にワクワクして楽しむことができたのだ。
門外漢の浅知恵浅知識で推測するのだが、能が奉納(おえらいさんに見せるという意味)の踊りというポジションから、楽しませる娯楽へと変化していく中で、過去の英譚や偉人談だけではなく今回の黒塚のように伝承民話が取り込まれ、より面白い見世物の要素、つまりスリルとサスペンスのエンターテイメント性が強くなっていったのだろうか。
能の様式、技法という基本的な部分は変わらないが、それでも娯楽としていい意味での媚びが感じられたのそんなことを思った次第である。(果たしてオレの直感はあってるのだろうか? 知ってる人がいたら教えてほしい)
てなわけで、密かな試み第1段は大成功だった。また別の演目も見たくなったよ。でもそんときはもっと事前に勉強してから行くことにしよ。
おまけ
光あれば影もまたある。というわけでいろいろと怒ることもあったのだ。
観客層は、まあどうしてもある一定の年齢以上の人が多いのは当然である。それは別にいいのだが、しかしあのオバサン連中はなんとかならんのかね。とにかく五月蠅いったらありゃしない。観劇するにも仕方、マナーがあるでしょうに。別に寝るなとか真剣に見ろとまでいうつもりはないが、他のお客様の迷惑になることはいかんだろう。自分の行為が他者からどういうことになっているのかという客観的な視点を持てないというのは子どもと一緒だ。
一番ひどかったのがオレの隣の二人組でどうやら観劇マニアらしい。上演中もこの舞台のつくりはどうのこうの、足はこびがいいだの、とにかく五月蠅いことこの上なし。あんたらそうやって話すことで二人の仲を確かめあえて楽しいかもしれんが、まわりは大迷惑だったことに気づけよ。ああ、腹立たしい。よほど注意しようかと思ったのだが、それも大人気ないかなと思い逡巡してるうちに、舞台に魅了されて釘付けになっちゃった。とりあえず人の振り見て我が振り直そ。