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シート

 疲れた体をシートに深く沈める。今日も一日、実に忙しかった。サラリーマンはつらいのだ。だから運良く電車の席に座ることができるとそれだけで幸せを感じてしまう。お手軽だが、そんな現在に満足しているので特に不満はない。そう、ないのさ。
 電車の心地よい揺れにつられて、簡単に眠りの世界に落ちていく。
 気持ちよくうとうとしている俺は突然、腿の上に衝撃を感じた。びっくりして目を開けたが体がまだ眠っている。焦点が定まらない。とりあえず腿に伝わる生暖かい柔らかな重みだけがわかるだけで、半分寝ぼけた頭は未だ事態を全然把握できない。
 いったいなにがどうなったんだ。
 それまで電車の雑音だと思っていた耳元で響く音が意味を持ち始めた。
 … だからぁ、… ってやったさ … ぎゃはは… じゃん… てゆうか… だし … きゃはは… はは …
 なるほど、目の前にある茶黒い壁は女子高生の後頭部だ。でも、何で。現状は把握できたが、原因の理解には程遠い。むむむ。しかし、少なからざる快感を伴う自分の置かれた状況は、決して好ましからざるものではない状態であることが、嬉しくもあり悲しくもある。このまま… 違う! このままでは男の股間、じゃなくて沽券に… じゃない、そうじゃない!
 どうも頭が覚めきっていないようだ。まともな思考ができない。そうこうしているうちに電車は駅に到着し、女子高生集団はけたたましい叫声を車内に残して降りていった。
 たちの悪い悪戯か、はたまた新手の逆セクハラか。結局謎は謎のままなのか。
 と思う間もなく、今度は太ったスダレ頭の背広男が俺を襲う。
 ちょっと待て! と声をかける間もなく全身の体重を俺の腿に預ける。腰を数回揺すり、位置を微調整。そして身勝手にも寝に入りやがる。今晩は一体全体なんなんだ!
 若い娘のお尻ならまだしも、小汚い中年親父のケツを乗せる趣味など、俺は持ち合わせてなんかいない。
 怒髪天を突く。俺は切れた。立ち上がる。いや立ち上がろうとした。動かない。体が全然動かない。声も出ない。これは金縛りだ! すると今、俺の上ででかい鼾をかいている親父は実は幽霊なのか。一時の至福を与えてくれた女子高生の群れも幽霊なのか。俺は始めて恐怖を感じた。
 どどどどうすればいいいい。そうだ、まず金縛りを解くのだ。確か一か所に意識を集中させるといいと、何かの本で読んだ。指。俺は指に力を込める。変だ。ないぞ。指が感じられない。ちょっと待て。俺の指はどこにある。首が動かないから目で確かめることもできない。痺れか呪いか幻術か。じゃ足の指だ。足がない。顔だ。瞼は。ない、どこにも! 俺はいったいどうなったのだ。何で俺はこんな目に会わなければならないんだ。そもそも俺は、なんで電車に乗っているのだ。わからない、俺は… 俺? 俺はいったい誰だ


(1997.09.28初稿/2000.01.29改稿)
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