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八重山にマブイ落としに  …17

 あやかしの市街戦   

 石垣島での休日、まずは市街近辺を散策からスタートしよう。
 行動範囲をちょいと広げるためにも、ここはひとつレンタサイクルを使ってやろうじゃないかということになった。陽射しは相変わらずで、しんどいかとも思ったが、実際、走ってみるとこれが実に快適なのだった。まわったところがおおむね平地で、こぎ疲れることもなく、また走行風も吹きつけてきたためだろう。

 石垣市は八重山最大の繁華街というだけあって、アーケード街を中心にさまざまな店が軒を連ねている。それを取り囲むように住宅地が広がっていて、一見ごく普通の街なのだ。が、それはあくまでも表向きの姿。やはり八重山独特の姿を隠し持っている。例えば、ちょっと路地を曲がると御獄があり、近代的な建築の家にピーフンがあったりする。目線を下げれば石巌當がビルの壁に埋め込まれている。なるほど、やはりここは八重山なのだ。もっとも、どんなところへ行っても普通の街などないともいえる。その土地に根ざした文化があり、風習がある。

 竹富島もそうだが、石垣島もまたいたるところに御獄がある。まさに地に密着した信仰であると見ることもできるのだろうが、「本当にそうなのだろうか」とオレは思うのだった。
 情報ソースが偏っているせいか、オレの沖縄方面の知識もかなり偏っていて、ユタがいて、誰もが先祖をウガンしてるプリミティブな宗教観を思い描いていたのだが、もちろんそんなことはないのだった。確かに御獄は多くても、だから独特の信仰を持つとはいえない。竹富島でオジィに聞いた話では、信仰宗教として一番多いのはやはり仏教なのだそうだ。
 もちろん御獄を軽んじるということではなく、それはそれ、信仰とはちょっと違う。そんな印象をオレは感じた。

 考えてみれば、オレの生活環境のまわりでもお稲荷さんがあり、お地蔵さんがあり、そこではお祈りもするわけだ。たとえ宗教が違っていたりしてもね。
 つまりそういうことなのだろう。お稲荷さんなどは、生活に深く密着してしまい、救済する神様といったような概念の宗教としては機能していない。もちろんそれは有名無実の存在という意味ではなく、個人個人の深い部分に根ざした宗教観であり、多分それこそが『アミニズム』ということなのだろう。
 これは実際に見聞きしたものからの直感でしかない。おそらくもっときちんと研究した人達の研究もされているだろうし、この素人考えは全然間違っているのかもしれない。しかし、オレはそれほど的を外していないだろう、とそう思う。

 閑話休題。
 御獄まわりの中での出来事である。
 美崎御獄でひとりのオジィに出会った。彼は黙々と落ち葉枯れ枝の掃き掃除をしていた。黙って通り過ぎるのも心苦しかったので、軽く挨拶すると、
「あんたたち、学生さんかい?」
「いやぁ、学生だったのはもう十年以上も前です」
「そうかい。こんな場所にはもう学生さんくらいしか来ないからねぇ」
「そうなんですか。オジイサンはいつもここにいるんですか」
「もう歳だしねぇ、仕事することもないから毎日ここにきて掃除しとるのよ」とオジィは皺だらけの顔で笑った。
 その後、いろいろと世間話をしながら、オジィの写真を撮らせてもらった。オジィはカメラを向けられてもまったくそれを意識することなく、おしゃべりを続けるのだった。オレは内心、ずいぶんと胆のすわった人だなぁと思ったものだ。
 これからは後日談になるのだが、八重山の旅で撮った写真の中にはこのオジィはいなかったのだ。ネガを見てみるとオジィを撮ったコマ数枚だけがなにも写っていない。レンズキャップをはずし忘れたのかとも思ったが、よく考えればそのとき装着していたレンズにはキャップがついていないやつなのだった。オジィの前後に撮った写真はきちんと写っていたので、露出などのミスも考えられない。
 とすると、原因はひとつ。オジィは人間ではない。霊魂なのか、それとも妖怪キジムナー? んなバカな… しかしそんなおかしなことが起こっても不思議ではない場所ではあった。


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