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みちのくの駆け足旅  …6

 ナニャ〜ドラ〜ヤ〜(舌足らず)   

案内
胡散臭さ爆発な案内
看板
けっこう力が入っているのか?
伝説とロマン
ナニャトヤラ街道といわれても…
墓
兄弟向かい合わせで眠る
キリストの墓
これがかのキリストの墓だ
顔出し
地元の衣装もちょっと洋風?
赤ん坊
お化け屋敷じゃありません
記念撮影
これはその証拠(になってない)

 2日目最後の目的地は青森から一気に南下し、十和田湖の東、新郷村だ。この名前でピンときた人もいるかもしれない。そう、かのキリストの里、へらい村である。

 青森ではピーカンだったのに南下するにつれて天候が再びくずれ始め、またシトシトジトジトという空模様に逆戻りしてしまう。そんな中、具体的な目的地もわからぬまま車は新郷村へと走る。  さほど有名でもない、知る人ぞ知るといった(あえていう)珍スポットなのだ。情報はキリストの墓があるということだけ。果たして何が見どころなのかもよくわからないのだ。とりあえず墓だけ見られればいいか。それにしても、おそらく道案内もないだろうし、うろうろと探すことになるのだろう。とりあえず新郷村に入ったら聞き込み調査するか。などと不安げな話し合いをしながらいつの間にか新郷村についていた。

 頭を殴られたような衝撃を受ける。なにげにキリストの墓の道路標識が立っていたのだ。それもかなり立派な。新郷村は確かにごく普通の田舎の村の風景なのだ。そんな中にいきなり異質な文字が並んでいる。間違ってる。そんな言葉が頭の隅をよぎる。衝撃はまだ続く。振り返った角の雑貨店には、デカデカと『キリストの里』と書かれているではないか。なんか思いきり信憑性に欠ける噂であるはずのそれなのに、真実であるかのような取り扱いがなされ、大いなるトラップにはめられているような気がしてならない。  そして我々が向かうのはそのウソ臭いものの中心であるのだ。

 案内板の指示に従い車はさらに10分程走る。  愕然とする。もっとひっそりとあることを期待していたのに。期待していたというよりは、そうであってほしいというところか。しかしそこに待っていたのは「キリストの墓」だけではなかった。「キリストの里伝承館」とはなんなんだ。なんでこんな公共施設までできているのだ。  小雨降る中、こんなことでいいのか感をひしひしと感じつつも、妙にわくわくしている我々。そして駐車場でまわりをみれば、数台の車がとまっており、そこにいるのはどうみても普通の人とは違う、ある一種独特の雰囲気を持つ人達。なんとなく嫌な気分(いや同族嫌悪ではない、決して!)を感じる。

 なぜかキリストとその弟の墓がある。なんでもゴルゴダで処刑されたのは弟のイスキリなのだそうだ。スジとしては通ってなくもないが、弟の存在自体が初耳だ。なにより処女受胎であるマリアがさらにもうひとり産んでいたとはお釈迦様でもご存知ない(罰当たりな…)。

 伝承館のほうは、こぢんまりとした展示館だが、内容は充実。というか暴走しまくっている。まず「このキリストの伝説を地元の観光資源ととらえ云々」という村長のコメントが開館の辞として飾られているのにびっくりである。史実として、そして宗教的にも認知もなにもされていない胡散臭い話をいきなり事実として肯定するというあまりにも柔軟な思考に驚かされる。もっともネス湖をはじめとするこの手のネタを扱うのに、真偽の程など関係ないということなのだろう。そこに人寄せの素材がある限りそれを有効活用するのに問題などないということだ。  展示物はさほど多くはないが、ツボをついた配置で、民家の様子を再現したディスプレイ(額に十字の書き込みをされた赤子がとても怖い)はわかる人にはとても“くる”ものがある。キリスト伝説発見に至る経緯を分かりやすく説明したパネルは読んでいるだけで、あるいはそういうこともあるかもしれないと思わせる理路整然としていて、ちょっと説得されそうで怖かった。  極めつけは新郷村付近に伝わる踊りの映像、またまた伝統芸能ネタである。 「ナニャドヤラ〜」というおはやし言葉が、ヘブライ語に非常に酷似した重要な証拠としてあげられているが、それがキリストの墓を中心に踊る浴衣姿の村人達の口から発せられると、どこか地味で怪しげな新興宗教の祭りっぽくなって面白かった。



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