もう一月以上前の話になるのだが、「うずまきレンズ」で報告したとおり、7月上旬、奥鬼怒へ行った。「うずまき…」にはあえて書かなかったのだが、そこで見、思ったことがある。
奥鬼怒は今、変化をしようとしている。 川のあちこちで砂防ダムが作られている。川岸は深くえぐられ、灰色のコンクリートが流し込まれている。建設用の大型工機も数多く入り込んでいて、地面をほじくりかえしている。
まず失望感を受ける。せっかくの自然を壊してどうするつもりなのだろうか、と。見ためも無粋であることはもとより、自然を破壊する要因となっていることも事実だろう。砂防ダム自体も、ダムを作ることで砂が溜まり逆に災害の原因になってしまうという記事もそこここで読むことができる。 せっかく歩いてでなければたどりつけない自然を守ることなど考えていない施策に対して、失望を感じ得ない。
しかし、これはたまたま訪れた“お客様”の意見であることもまた事実である。
昨年に続き、今年も大雨が降る。様々な水害が、そこにすむ人々の生活を襲う。それを知ってまで、「自然を破壊するな」と無邪気に語る資格がはたして自分たちにあるのだろうか。
しかし、ここでまた考える。外側から来た者のほうが、その価値を見いだすできるのではないだろうか。自然の美しさ、大切さを知ることができるのではないだろうか。身近にあるがゆえにその大切さに気づかないことも多くあるのだ。
しかし、それもまた観光客のおごりではないのか。
こうして思考は堂々巡りのまま、解答を見出すことができなかった。
答えはあるのだ。多分。それもとてもシンプルなかたちで。ただそれに気づかないだけで。