第ニ十三番 医王山 薬王寺。
文治4年火災の際、本尊は自ら西の玉厨子山に飛び去り、のちに後醍醐天皇が堂塔を再建して新しい薬師如来を安置すると再び戻り、後向きに本堂に入ったそうで、「後ろ向き薬師」と呼ばれるのはこのためだそうです。
仁王門を入り本堂までの石段は、最初に女厄坂33段、次に男厄坂42段となっていて、厄を迎える人が階段1段ごとにお賽銭を置く厄を払うという風習があります(が、気づきませんでした)。本堂から瑜祇塔に向かって本卦還りの61段の厄坂が続きます。瑜祇塔が壮観なのですが、ここには大師の一生を詞文と絵画で書き描かれた寺宝の「高野大師行伏図面」が展示されているそうです(もちろん見てない)。
ここで、徳島、発心の道場は終了。
徳島、薬王寺にて入手。
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